「がんになった」68歳の父からの電話に、私が抱いた感情は「安堵」でした...

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ぴっぴ
性別:女
年齢:42
プロフィール:小学生の子供が二人いるパート主婦です。

「がんになった」68歳の父からの電話に、私が抱いた感情は「安堵」でした... 41.jpg

実父(68歳)と私は中学生の頃から不仲でした。

威圧的で、不機嫌、お酒にだらしなく、母に当たる父が大嫌いでした。

母に「離婚だ出て行け」と怒鳴り、小さい頃の私は何度荷造りをさせられたことか。

ただ父は一人娘の私をかわいがっていました。

でも、不機嫌になると暴力こそふるいませんが、怒鳴ります。

でも機嫌のいい時は、「大好きだよ〜」とかわいがるのです。

幼稚園の頃から父は私のことが好きだというけれど、疑問はありました。

本当にそれは好きっていうことなの? 好きなら不機嫌になったり母をいじめたりしないんじゃないの? と不思議に思っていました。

そんな父ですが、母は経済面が心配で離婚はしなかったようです。

「あなたはお父さんから愛されているけれど、お父さんはキレたらどうなるかわからない。いくらあなたでも逆らったら食費、学費を一切出してもらえないこともあるかもしれない。だから、お父さん大好きって言いなさい」

母からはそう言われて育ちました。

母は私のことを心配したのでしょう。

でも、そんな母の言葉も私にとっては呪いになっています。

中学に入り思春期に入った私は、父のコロコロ変わる態度が許せなくなり、言葉で反抗するようになりました。

幸いにも母が心配したような「食費、学費をださない」ということにはいたらなかったのですが、中学時代から父との会話はほとんどなくなりました。

その後、私は大学を卒業し就職と同時に実家をでました。

母は結局父とは離婚しないまま、私が20代の頃にガンで他界。

父はその後一人暮らしをしつつ、自分勝手な生活を送っていました。

夜中電話があり出てみると、ひどく酔っ払っていてカバンがないやら鍵がないやら、財布がないやらと騒ぎます。

そして「お前のことを愛している!」と叫ぶのです。

また、女の人をとっかえひっかえしては、何度も振られていました。

寂しかったのでしょうが、だらしなすぎて直視できませんでした。

でもまっとうに生きて、母が悲しむような生活をしないでとお願いしても、不機嫌になり怒鳴られます。

私は父に関わることに疲れ、数カ月に一度、父の気まぐれでかかってくる電話に対応するくらいの付き合いを続けました。

私が結婚をし、子供ができてからは、母の命日とお正月に顔を見せるくらいになりました。

そんな父から2カ月前に「がんになった」と連絡がきました。

その時私が一番始めに感じたのは、安堵でした。

父の人生は父のものです。

私にはその生き方がどんなに悲しくても変えられません。

私が変わってくれとお願いすることは、父にとってはストレス、また、酔った父からの深夜の支離滅裂な電話や、お酒やお金、女の人にだらしない生活は私にとってストレスでした。

父はもう5年生きられればいい方だろうと言っていました。

あと5年。

父との関係の終わりが見えて、ひどい話ですが私はホッとしたのです。

ただ一人娘として、父のこれからの闘病生活について考えなくてはいけません。

ですが、正直嫌です。

関わりたくありません。

でも父に苦しんで死んでほしいという思いもありません。

私にできることは限界がありますが、ソーシャルワーカーと相談し、遠距離介護ができる体制を整えなければと思っています。

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