<この体験記を書いた人>
ペンネーム:konohana
性別:女
年齢:53
プロフィール:主婦です。55歳の夫と新大学1年生の息子の3人暮らしです。
53歳の主婦です。
10年前に突然、「間質性肺炎」になりました。
病名がわかったのは、最初の異変から3、4カ月たった頃です。
気づくと、少し歩くと動悸がし、息があがるようになっていました。
咳も止まりません。
最初は太ったせいかな? と思い気にとめていませんでした。
何と言っても、この動悸と息切れはじっとしていればおさまってしまうので、一時的なもので大事だとは思っていなかったのです。
ですが、あまりに同じ症状が続くので、大学病院へ行ってみました。
レントゲンも問題なし。
動悸や息切れのことも伝えたのですが、じっと診察室で座っている分には出ないので、問題がないと判断されたのでしょう。
先生には「気にし過ぎかなあ」と言われました。
納得できない私は、別の大学病院へ。
しかし、結果は同じでした。
最初は心配していた夫ですが、「気のし過ぎと言われたなら、そうだろう」とすっかり安心したようです。
それでも私の体調は変わらず、少し歩くだけで尋常じゃない動悸と、息苦しさが続きました。
そのうち、寝る時に布団に入るためにしゃがむだけで、心臓がバクバクするように。
体調が悪いのは続いていたものの、夫は「私の気にしすぎ」と思っているので、平気で潮干狩りや遠方での会食に私を連れて行きました。
GWには、当時小4(9歳)の息子を潮干狩りにもつれていきました。
しかし、私は移動すると苦しいので、駐車場で2人が海からあがるのを待っていました。
その翌日微熱が出たため、鎮痛剤(解熱剤)をもらいましたが、さらにその翌日に、夫の父姉弟と会食予定だったので、解熱剤を飲み、なんとか出席。
死にそうな数日間でした。
そしてさらに翌日のことです。
この日、ちょうど以前に診察したのとは別の大学病院の婦人科に予約を入れていました。
何度もキャンセルしているので、行かなければと思っていましたが、風邪っぽさが抜けないので、かかりつけの医院の内科に行くほうがよいか悩みました。
タクシーを待つ間も悩み続け、最後の最後に大学病院の婦人科での検診を選びました。
これが、運命を変える重要な選択だったのです!
大学病院に着き、這うようにして婦人科へ。
帰りに通りかかったのが、「呼吸器内科」でした。
私の唇は青ざめていたようで、受付の看護師さんに呼び止められたのですが、彼女が内線で誰かと話していると「チアノーゼ」という言葉が聞こえました。
それから、血中の酸素濃度を調べられました。
看護師さんが焦った様子で、私を診察スペースに連れて行き、医師も注射や点滴を用意していました。
いくつか試された点滴のおかげで容体が落ち着きました。
夫が駆け付けると、2人で医師から説明を聞きました。
病名は「間質性肺炎」。
原因不明な場合は治療が難しく、原因が何かのアレルギーの場合はアレルゲンが特定できれば治療の見込みがある、とのお話でした。
連絡を受けて駆けつけてきた夫は隣に座って涙ぐんでいました。
私は、酸素マスクをつけて安静にしていました。
どれくらいたったか、先生方が、私のアレルギー源を特定してくれました。
なんとあの、会食前日に飲んだ鎮痛剤が原因だったのです。
でも、病気を発症したのはそれより前なので、その時もその薬を飲んでいたようです。
その後、私が上向きに顔を上げ喉を開き、先生が上からなにか液体を流し込むという治療をしました。
これは、とても大切な治療とのことでした。
何でも一度飲み込んでしまったら、二度目はできないそうです。
説明してくれたのですが、緊張していたためよく覚えていません......。
ドキドキしましたが、なんとかクリア! 肺の中がす~っと洗い流されるような感じがしました。
この治療が成功して良かった!
そしてあの日、会食の翌日、大学病院と内科で迷った時、大学病院を選んで正解でした。
私を呼び止めてくれた看護師さんにも感謝しています。
運命の選択ってそんなにないことだと思いますが、私にとっては命を救われた大きな選択でした。
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