<この体験記を書いた人>
ペンネーム:まっきんぼうる
性別:男
年齢:36
プロフィール:地方出身の独身会社員です。年に2回、盆と正月に帰省していますがその度に両親の関係が悪くなっていきました。
父(65歳)と母(64歳)の話です。
父は30歳で起業し、現在も家に隣接した事務所で自営業を営んでいます。
母も従業員として勤務していましたが、2年前に引退。
収入は多くはなかったようですが、自身で家を建て、私たち子ども2人を何不自由なく生活させ、大学まで面倒をみてもらいました。
私は両親を尊敬しておりましたし、「自分もこんな家族を築きたい」と思えるほど、良い時間を過ごさせてもらいました。
そう、私が実家を出るまでは......
両親が60歳を過ぎたころから、目に見えて仲が悪くなってきたのです。
毎年、私は盆と正月に帰省するのですが、私たち子供の前でも互いの文句や批判を口にするようになっていました。
その後も関係が改善することはなく、父がお酒を飲んだ時に母に暴言を吐き、挙句に家具を投げるというDVにまで発展してしまいました。
ある時、母が耐え切れなくなり、私に電話で相談してきたことで発覚した家族の実情...。
驚きましたが、この件は父が謝罪することで、何とか収まりました。
しかし、その翌年には庭に離れを作り、母がその中で暮らし始め、両親の生活はバラバラ、離婚寸前の状態になったのです。
元はといえばこの不仲は、父が親の借金の肩代わりをしたことがきっかけでした。
以前から私の家系は親戚との交流がなく、私も祖父母と一緒に過ごした記憶があまりありません。
そのような親戚関係の中で、父が相談もなく、300万円の親の借金の支払いをしてしまっていたのです。
私たち兄弟はそんな事情を知らず、母から聞かされた時にびっくりしたと同時に、複雑な親戚関係を知ることとなりました。
このとき、両親の仲を辛うじて取り持っていたのは、12年前に家に来たウェンディーという猫でした。
交通事故にでもあったのか、尻尾を怪我して家の庭にうずくまっていたところを父親が介抱し、懐くようになった元・野良猫です。
名前の由来は父親が介抱した日が水曜日だったため、英語のウェンズデーから母親が名付けました。
最初は放し飼いでしたが、年をとってからは事務所内で過ごすようになります。
ウェンディーの話をするときだけは両親が穏やかな表情になり、たったひとつの夫婦の接点だったのです。
ですが、ウェンディーは去年の春に病気で息を引き取ってしまいました。
そのとき、今後の両親の関係がどうなるのか、大きな不安がのしかかりました。
そんな気持ちからか実家に帰るのが憂鬱だったのですが、私が昨年の盆に帰省した際に、父も母も昔のように楽しそうに会話をしていました。
険悪な雰囲気は少しもありません。
母が生活していた離れが物置になっており、両親は一緒の寝室で眠るようになっていました。
...一体、何がそうさせたのでしょうか。
実家の近くに住む兄弟から聞いたところ、ウェンディーが亡くなった後に両親の関係が悪化し、離婚寸前まで話が進んだのだそうです。
そして、財産の整理など離婚の準備を進めていく中で、大逆転が起こりました。
以前、両親が購入していた株が高騰していたことが分かったのです。
その額は、父が相談もなく勝手に肩代わりした借金を軽く上回っていたそうです。
...結局お金なの?
つい、そう思ってしまいましたが、今年の正月も去年の盆と同様に家族仲良く過ごすことができ、初詣に出かけることができました。
現在はウェンディーがいなくても、両親は穏やかな表情で会話しています。
まあ、仲直りのきっかけはともかく、父と母が仲良く過ごす方が、天国のウェンディーも喜んでいる事でしょう。
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