<この体験記を書いた人>
ペンネーム:konohana
性別:女
年齢:53
プロフィール:専業主婦です。55歳の会社員の夫と新大学生の息子と3人暮らしです。平穏な日々を待ちわびています。
今年83歳になる母。
私が子供の頃から気分屋のところがあり、イライラしているときには、私や2つ年上の兄に手をあげるような怖い母でした。
でも機嫌がいいときは陽気で、親子で笑い転げた記憶もあるので、いつもいつも怖い母、というわけでもなかったのですが。
幼い私はお小遣いをもらえるようになると、母の日にプレゼントをあげるようになりました。
カーネーション1本から始まり、贈らない年はありませんでした。
母のことは怖かったり嫌いだったり好きだったり、複雑な想いもありながらも、あげるのをやめようと思ったことはなかったです。
小学校3年生の母の日のことです。
友達と2人で、新しくできたお花屋さんで花を買って、それぞれお母さんに贈ろうと計画を立てました。
私は、お花を選びに選んで、可憐な感じが気に入って、なでしこにしました。
帰宅が少し遅れたせいか、母は怒っていたので、おずおずとなでしこを差し出しました。
「母の日ありがとう」
「なに? この雑草みたいな花」
母はなでしこを見て顔をしかめながらそう言い捨てたのです。
今でも思い出す、悲しい母の日の記憶です。
「普通にカーネーションにすればよかった」
そう後悔しても、あのときの母の顔は頭に刻み込まれてしまいました。
さて、かなり昔の話から始まりましたが、「母の日」をめぐるエピソードの原点は、このときのなでしこだった気がするのです。
大人になり、結婚出産を経て母親になった私は、母の苦労に、以前より感謝の気持ちを感じるようになりました。
そこで、子供が小さくて買い物に行けない間は、せめてものつもりで、コンビニのカタログから選んだフラワーアレンジメントを贈り続けました。
毎年、お礼の電話がきて「ありがとう」と言われてはきました。
あるとき「母の日に贈ってる花、ちゃんと咲いてた?」と聞きました。
「まともに咲いていたためしがない」
母は言いにくそうではありましたがこんな風に言いました。
ああ、気を遣って今まで言えなかったんだな、と思いました。
でも、母の言葉にひっかりを感じてしまうのです。
「~したためしがない」
この言い回しは、昔から母がよく使う言葉です。
胸にチクチク刺さりました。
でもめげずに私は母の日に贈り物を贈り続けました。
花がだめなら、洋服はどうだろう? シニア向けな感じのブティックなど、これも選びに選んで自信を持って贈っていました。
電話で「ありがとう」という言葉に安心していました。
それも数年すぎて、ふと母の日の洋服について聞いたところ、今度はこんな風に言われました。
「はっきり言ってあなたが選んでくれる服は、若すぎて着られない」
そうか。
また、気を遣わせたみたいです。
この「はっきり言って~ない」も、母が何かを強く否定するときの言い回しです。
こういうキツイ言い方は、胸にグサっと刺さります。
また、昔の怖い母と叱られる自分を思い出します。
そして今年、コロナ禍で買い物に行けず、母の日のプレゼントは無理だと母に伝えました。
「大丈夫、いらない、いらない。去年もらった大きなバッグもいらない、使ってないから。なにもいらないから」
母としては、普通に気を遣っての言葉だと、わかってはいるのです。
しかし結局、去年のバッグも使っていない、いらなかったのだ、ショックでした。
母は、そう悪い人ではないと思います。
まったく人に気遣いをしないわけでもありません。
それでも、私がいちいち傷ついてしまうのは、ばっさり切り捨てるようなものの言い方、強めな否定の言葉を使われるからなのでしょう。
子供の頃、私を傷つけてきた言葉を思い出させるからかもしれません。
なでしこの苦い思い出。
もう、母の日は何も贈らなくていいのか、何も考えず、カーネーションを贈るのが一番いいのか、来年までゆっくり考えようと思います。
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