<この体験記を書いた人>
ペンネーム:おこめ
性別:女
年齢:44
プロフィール:夫と子供二人の4人家族。派遣勤務。
あれは9年前(当時35歳)のこと、私はテイクアウトの寿司店でパートをしていました。
こじんまりとしたお店で、従業員は店長とベテランのおばさん、私、高校生の4人でした。
私は寿司店の経験がなく、1から握り、バッテラ、いなり、細巻き、太巻きの作り方を習いました。
長く続けていると得意メニューも出てきますが、作るのが苦手なものも出てきます。
私の苦手なメニューは「太巻き」でした。
しゃりと具の配置、握る力加減、そして刃の形が丸みを帯びている「寿司切り包丁」の使い方が、とても難しかったです。
そんな私にとって、一番緊張するお客さんがいました。
毎日のように買いに来てくださる「太巻きファン」の老婦人(推定年齢70歳)です。
いつも不機嫌そうな顔をしているその老婦人が来店されると、とても緊張してしまう私。
太巻きは注文を受けてその場で作ることもあったのですが、私は落ち着いてつくれるよう、その老婦人の来店時間前に「作り置き」するのが日課になっていました。
ですがある日、恐れていたことが起こりました。
太巻きが大量に売れてしまったのです。
そして、当然のようにその日も老婦人が来店されました。
当然在庫はなく、その場で私が作るしかありません。
恐る恐る太巻きを作る厨房の私を...小窓から覗き込む老婦人。
緊張MAXでした。
そして、やはり...というか、老婦人からクレームが入ったのです。
私の作った太巻きが「汚い」と。
すぐさま店長が私の代わりに謝りに行ってくれたそうです。
しかし老婦人は怒鳴りつけたりはせず、私に「落ち着いてと伝えて」と言ったそうです。
クレームが入ったというのに、なぜか店長は私を怒りませんでした。
「絶対にできるから頑張ろう!」
そう励ましてくれました。
とはいえ、老婦人にこれからどんな顔で会えばいいのだろう...と悩んだ私。
でも答えを出す暇もなく、次の出勤日は訪れます。
そしてもちろん、老婦人もご来店されました。
その日はベテランのおばさんと私のシフトでした。
事情を知るベテランのおばさんが、すぐさま先日の「汚い太巻き」を老婦人に謝罪して、私も後ろから謝罪。
そしてベテランおばさんが太巻きを差し出すと「これは彼女が作ったの?」と言って私を指さしました。
「これは私が作りました」とベテランおばさんが言うと、驚きの言葉が飛び出しました。
なんと「時間はたっぷりあるから、私は待っているから、彼女の太巻きを買うわ」と私を見て言うのです。
もう、驚きと緊張でまたまた手が震えましたが、ベテランおばさんに隣についてもらい、1からキレイな太巻きが作れました。
何も言わずうなずいている老婦人。
そして、何事もなかったかのように購入して帰る姿を、ホッとしながら見送りました。
その後、「太巻きはうまく握れていたわよ。巻きずし用の包丁の使い方がまだまだね。力を入れないで切ってごらん」
ベテランのおばさんはそういって、練習に付き合ってくれました。
改めて教えてもらえたことで、私の苦手な部分に気付きました。
巻き寿司用の丸い包丁で切るときに力を入れて切っているので、寿司を潰していたようでした。
そして、また次の出勤日も老婦人が来店されました。
棚に並べられている太巻きがあるのに「太巻き1つ」と注文され、その日から老婦人は作り置きのものではなく、「その場で作るもの」を注文して買うようになりました。
顔は相変わらず不機嫌そうなので、毎回緊張しまくる私。
そしてクレームが入って2カ月経った頃。
思ってもみないことが起こりました。
来店された老婦人が「あなた、うまくなってきたじゃない!」と微笑んでくれたのです。
続けて彼女はこう言ってくれました。
「ごめんなさいね、私ね小料理屋を経営していたのよ。体を壊してお店は畳んだけど、あなた見てると、自分の若い頃を思い出してしまって、ついついお店にまで電話してしまったわ。店長に包丁の使い方きちんと教えてあげなさいって」
本当に驚きました。
ただのクレームだと思っていたのですが、私のためを思ってくれた、言わば「愛のあるクレーム」だったのです。
あとから店長に尋ねると、注意されたのは店長だったそうです。
きちんと私を育てるようにと。
そして、私が上達するまで内緒にするようにと店長と約束したそうです。
「こんな不愛想な私にいつも笑顔で接客する彼女に会うことが日課なのよ」
老婦人は店長を叱った後、嬉しそうにそう話していたそうです。
優しい言葉に、自然と目から涙がこぼれました。
おかげさまで、今では太巻きが得意料理です。
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