<この体験記を書いた人>
ペンネーム:さつき
性別:女
年齢:52
プロフィール:コロナ自粛が終わったら楽しい世界が待っているはず。
私は52歳で、3人子どもがいます。
3人とも年が離れているので、長い子育て期間でしたが、1番下の子も今春高校を卒業し、ようやく子育てはほぼ終了です。
第一子を里帰り出産したのは、約28年前のことです。
当時、夫の転勤で全く知らない街へ行き、そこで妊娠が分かりました。
周りに知り合いもなく、転勤したばかりの夫は毎日忙しく、とても不安な毎日でした。
妊娠によるホルモンバランスなどもあってか、涙が止まらなくなったり、何をしても楽しく感じられなくなったり、マタニティブルー状態でした。
当時はまだ携帯電話は普及しておらず、家の電話では遠距離通話は高額で、友人との長電話も控えていました。
知らない街で、スーパーの往復とたまの健診くらいしかすることはなく、ネガティブなことばかり考えていたように思います。
里帰り出産することは決めていたので、早く実家に帰りたい...と当時は思っていました。
「あまり長く旦那さんを1人にするのは良くないから、予定日の1カ月前まではそこにいなさい」
そう母は諭してくれましたが、私は耐えきれず、妊娠8カ月に入ってすぐ実家に戻りました。
久々の実家は居心地が良く、安心して出産を迎えられました。
母に慣れない育児を手伝ってもらい、食事も上げ膳据え膳で、のびのびと過ごさせてもらったんです。
そうしてお宮参りも終わり...周囲に「そろそろ家に帰ったら」と言われましたが、ワンオペでの育児に自信が持てず、1日延ばしにしていました。
産まれたときとお宮参りに来てくれた夫にも「もう少し実家にいたい」とお願いしました。
ですが、そんな、ぐずぐずしている私を見かねてか、出産から2カ月経った時、父と母が改まった面持ちで私にこう、告げたのです。
初めての育児で、不安なのはわかる。でももう〇〇(私)はお母さんなんだよ。
お宮参りのとき、□□さん(夫)は「早く帰ってきて欲しい、どこまで協力できるかわからないけれど、できる限りのことはする。〇〇と赤ちゃんと3人で暮らせるのを楽しみにしている」そう、言っていたよ。
〇〇が不安なのもわかっているし、実家が居心地いいのもわかる。
だからあまり強くは言えなかったが、今、帰らないと赤ちゃんの成長を□□さんに見せてあげられないよ。
日に日に可愛くなって、表情の変わる貴重な時を夫婦で共有できないなんてもったいない。
今が踏ん張り所だよ。
それでもしんどかったら、たまには息抜きに帰って来たらいい。
お父さんやお母さんがそっちに遊びに行ってもいい。
□□さんを頼って、少しだけ頑張ってみたらどうか?
...そのようなことを、両親は訥々と話してくれたのです。
私はそこで、ようやく踏ん切りがつきました。
「この子のために少しだけ頑張る」
夫に連絡してその週末迎えに来てもらい、自宅に帰りました。
そこからは、まさにあっという間。
赤ちゃんとの日々は忙しく、妊娠中のように鬱々と悩んでいる暇もなく、泣いたり笑ったりするうちに過ぎていきました。
夫もできるだけ早く会社から帰ってきてくれて、お風呂に入れたり寝かしつけしたり、思った以上に協力してくれました。
そうして数年が経ち、第二子の出産の際は、上の子が1年生だったこともあり、里帰りせずに出産。
母が2週間も手伝いに来てくれました。
さらに3人目の時は、上の子たちが手伝ってくれたこともあり、母の手を借りることなく出産することができたのです。
子どもが増えるたび、「私は子どもに成長させられた」と思います。
そして若い頃に甘えていた私が強くなれたのは、あの頃の父母の後押しがあってのこと。
優しくそっと諭してくれた父母に感謝しかないのです。
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