<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ハイジ
性別:女
年齢:52
プロフィール:どこか遠くへ行きたい春、すぐ夏になるんだろうな。
母は80代後半で、父の死後は1人で暮らしています。
私には子どもが3人います。
その子たちがまだ小さく、1番上が小学生、真ん中と下はまだ乳幼児だった18年ほど前のことです。
私の仕事は土日祝日が中心でした。
平日の昼間は家にいることが多いので、保育園に申し込むことができませんでした。
夫が休める時は子守を頼んでいましたが、仕事の時は母に家まで来てもらっていました。
母は子どもの世話だけでなく、家の片付けや掃除、洗濯もしてくれていました。
日頃私が後回しにしていたコンロや換気扇の掃除までして、時には夕食まで作ってから帰って行きました。
遠方から電車に乗って来てくれる母に、その当時はろくにお礼を言うこともしませんでした。
実母に甘えている気持ちと、面と向かってありがとうを言うのが照れくさかったのもありますが、仕事に疲れて余裕がなく、イライラしていたせいでもありました。
母が恩に着せる様子は全くなかったのですが、その当時は「こんなに汚れているのに掃除していない」と思われているようで、素直に喜べなかったのです。
疲れて帰って、コンロがピカピカになっていることを「うわー! すごい、綺麗にしてくれてありがとう!」と言わずに「コンロはいいからお風呂を掃除して欲しかったわ」などと憎まれ口しかききませんでした。
それでも母は笑って、次に来た時にはお風呂掃除をしてくれていたのです。
子どもたちに服を買ってくれた時も、自分の趣味でないと「えー、今時こんなの着ないよ」と言ってしまったこともあります。
それでも母は「お母さん、センスないからねー、ごめんねー」と笑うだけでした。
今思うとひどいことを言ったと反省しかないのですが、仕事のイライラを母にぶつけていただけな気がします。
そのうち、下の子が小学校に上がり、子どもたちだけで留守番ができるようになると、母に子守を頼むことも徐々になくなりました。
「もう大丈夫そうだから、来週からは来なくていいよ」
そう言ったときの母の寂しそうな顔を今でも思い出します。
ここ数年、母は軽い認知症を患い、たまにとぼけたようなことを言うようになりました。
幸い症状は足踏み状態で、急激な悪化はなく現在に至っています。
時折母の元を訪ね、他愛もないことを喋っていた時のこと。
「うちの子はお母さんに育ててもらったようなものだったねえ。私は文句ばっかり言ってたのに、お母さんは文句ひとつ言わなかったねえ」
ふと話したことがあります。
すると母は、こんな思い出を話してくれました。
「お母さんのお母さんは子どもの頃に病気で亡くなったから。あなたたちを育てていた時、お母さんが生きていたら手伝ってくれたかも知れないのにってずっと思ってたの。大変な時、お母さんにいて欲しかったなあって。だからその分まであなたの子育てを手伝ってあげようって思ってね......」
そう言って母は笑いました。
私は...まだ照れくさくて、きちんとありがとうを言えていません。
いつか「お母さんがいてくれて良かった、ありがとう」と言おう。
でも、まだまだ長生きして欲しいから、つい先延ばしにしているのです。
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