<この体験記を書いた人>
ペンネーム:まちばり
性別:女
年齢:40
プロフィール:ホットヨガに通い始めました。産まれてから今が一番健康状態がいい気がします!
私は過保護な母に育てられました。
小学生の低学年のころまでは、おままごとにピクニックにお料理作りに、とたくさん遊んでくれて優しくて大好きでした。
でも、小学校高学年ぐらいから「過干渉」と思うようになり、なんだか面倒に感じ始めました。
門限は18時。高校生になると20時になりはしましたが、遅くまで遊んでいられません。
女友達と電車で遊びに行くことにもいい顔をせず、泊まりになると反対され、私だけ参加できないこともありました。
勉強でも平均点ぐらいだと「この先大丈夫かしら」と不安がられ、赤点を取ったりすると「一緒に勉強しよう!」と言われたり、予備校を探してきたりして大騒ぎ。
一緒にいると疲れ、いつも母の目を気にしていけないことに嫌気がさしていきました。
そして大学で一人ぐらしを始めたことをきっかけに、実家に顔を出すのは年に数回になりました。
それでも「一人暮らしで怖い思いはしていないか」「きちんと栄養のあるものを食べているのか」などの連絡はしょっちゅう。
メールの返事が遅いと、着信履歴が何度も入り、家に来たことすらありました。
「一人暮らしをしても母から逃れられないのか...」
大学生の私は、そう思っていました。
そんな母が少し「子離れ」し始めたのは、私が30歳になったころです。
「もういい加減大人なのよね」と言い「そうだよ、過干渉すぎ」と私が言ったことで、連絡頻度が少なくなりました。
ようやく自由な生活を手に入れられた...。
私はとても満足しました。
それから、私は結婚し、子どもが産まれました。
そのころの私は、会社でたくさん叱られたり、徹夜を繰り返したりと「社会の荒波にもまれて強くなった」という自信をもっていました。
だから、「子育てなんて余裕でしょ」と思っていたのですが......そんな自信は出産当日に打ち砕かれました。
母乳におむつ、抱っこに寝かしつけ......赤ちゃんのお世話のなんて大変なこと!
そして大きくなったらなったで、エンドレスに繰り返されるままごと遊び。
「ねーおかあさん」と常に話しかけられ、「あそぼー」と繰り返される日々。
私には途方もなく大変でした。
そして子供が幼稚園の年中になり、ランドセル選びをした時。
「いよいよ小学校という目が届かないところに行くんだな」という思いが、現実味を持って私に迫ってきました。
そこで、私はとてつもない不安に襲われたんです。
朝「いってきます」と笑顔で送り出した後に「ただいま」と元気で帰ってくるのか。
学校でいじめにあわないか。
給食で嫌いなものがでてお腹をすかせないか。
休み時間や体育の授業でケガをしないか。
そんな些細な心配で積み重なって、眠れなくなってしまいました。
「親とはこういう気持ちになってしまうものなんだ」ということを、私は初めて知ったのです。
過干渉でうっとうしいと感じていた母。
いつも私のことを心配して考えてくれていた。
それは、愛情からだったんだなぁと思ったのです。
そして、私は自分から母に連絡を取るようになりました。
「お母さんもこんな気持ちだったんだね」と言ったとき、母は「そうなのよ。不安でたまらないのよ。あなたには悪かったけれど......」と言われました。
そんな40歳の私も、親の中ではまだまだ子ども。
いまでも心配してくれています。
私も自分の経験を踏まえて、心配しつつも程よい距離感を保った子育てを頑張りたいと思います。
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