<この体験記を書いた人>
ペンネーム:もこもこ
性別:女性
年齢:52
プロフィール:大好きな時間は老犬の匂いを嗅ぎながら眠ること。
娘は、大学進学で遠く離れたところに住み始めてからは、年に2回帰ってくるかどうかくらい。
大学生活が楽しく忙しいようで、「帰ってこいよ〜」としつこく言ってようやく帰って来る程度です。
そして帰ってきても家にじっとしていることは少なく、友人と忙しく遊びまわり、アルバイトに精を出し、親そっちのけの自由奔放。
進路をめぐっては夫と娘は意見が食い違うこともあり、一時は剣呑な雰囲気になっていたこともありました。
でも離れて暮らしてみると、家にいた時よりも夫を頼って私の知らないところで色々と直接相談をしていたようです。
夫も頼られると悪い気はしないようで、あれこれ世話を焼いているうちに関係が修復されていった様子でした。
そんなある日、家族のLINEに娘から夫の誕生日を祝うメッセージが届きました。
よく覚えていたな~、と感心していたら続けて動画が貼り付けられてきました。
そこにはギターを弾きながら「ハッピーバースデー、パパ~」と歌う娘の姿が。
それを夫は黙って繰り返し繰り返し眺めていました。
子どもたちが小さい頃、誕生日には家でご馳走を作り、ケーキを囲んで家族でお祝いをしました。
その頃のビデオには必ず夫がギターを弾いて「ハッピーバースデー〇〇ちゃん」とみんなで歌い、その日の主役がろうそくを吹き消すというシーンが残っています。
他の姉弟は全く興味を示さなかったのですが、娘だけがギターを弾きたがり、高校生になると望んでギターを習いました。
部屋で熱心に練習していて、受験勉強の辛さをギターで紛らわせていることもあったようです。
進学のために家を離れる時もギターだけは忘れずに持って行きました。
後になって知ったのですが、大学生活では慣れない土地で戸惑うことも多く、ストレスで発疹が出たり、電車に乗れなくなったり、涙が止まらないこともあったそうです。
けれど、娘は私たちを心配させないためにか、泣き言を言うこともなく、全て自分で克服し、時には周りの人や友人に助けられたりもしながら暮らしていました。
私に事後報告で「実はね〜」と話してくれたのはだいぶん後になってから。
娘なりに自分で消化して、笑って話せるようになってからのことでした。
「卒業して働き始めたら私たちに学費を返済する」と、自ら考えて提案してきたのにも驚かされました。
何年計画で、月にいくらずつ返すと表にして見せられたのです。
それは多分、次に大学へ進学する弟の学費が大変だと私が娘に漏らしたからだと思います。
いつの間にか地に足をつけて1人でしっかりと歩んで行く娘。
頼もしく感じながらも、一抹の寂しさも覚え、まだもう少しは親を頼ってくれていいんだよ、心の中で思っているのです。
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