絶望、嫌悪、恐怖...。自分の身を守るため、私が夫との「家庭内別居」に至るまで

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:もみじ
性別:女
年齢:54
プロフィール:夫とは結婚25年。現在家庭内別居中。大学生の息子と娘がいます。

絶望、嫌悪、恐怖...。自分の身を守るため、私が夫との「家庭内別居」に至るまで 10.jpg

夫とは結婚25年になりますが、もう7年程前から家庭内別居をしています。


子どもたちが小学生の頃までは、家族全員で2階の和室に布団を並べて寝ていましたが、子どもが高学年になって一人ずつ子ども部屋に移るようになり、下の子が部屋を移るタイミングで夫のいない昼間に夫の荷物を階下の客間に全て運んでしまい、今日から下で寝てくださいと張り紙をしておいたのです。

お見合いで結婚した夫は、全てのことに無関心で非協力的です。

結婚までの短期間で見せた爽やかさは嘘のように、不愛想で何もしゃべりません。

私が話をしてもこちらを向かず、何の反応も見せずで、聞いてくれているのかどうかすらもわかりません。

子どもが持久走大会で3位になった、お習字で金賞を取った、リレーの選手になったと話しても何の反応も示しません。

「それはすごいな!」なんていう普通の父親の反応を期待していた私は、そのたびに悲しい気持ちになりました。

でも父親に褒めてもらえない子どもたちはもっと悲しい気持ちだったのではないかと思います。

今では父親も多く出席をしている入学式や卒業式、授業参観などにも関心がなく、たとえ家にいたとしても行くことはありません。

子どもがリレーの選手だった運動会も、ビデオ撮りを頼んだのにもかかわらず、家で寝ていて撮影してくれなかったということもあります。

もちろん休日に「遊びに行こうか」などと言ったこともありません。

休日はいつも布団の中でゴロゴロしていて、子どもたちがどこかへ行きたいと言っても「行ってくれば」と他人事。

仕方なしに私が子どもたちを連れ遊園地や動物園に何度も行ったのですが、休日のレジャー施設の駐車場に並んでいると、周りの車はみんなお父さんが運転していて、それを見ると知らずに涙がこぼれてきたものでした。

そして私に対する優しさのかけらもない冷たい態度。

何気なく言ったことに逆切れされて怒鳴られたりします。

上の子の出産のときには「痛い。けどまだ大丈夫」と言った私に「大丈夫だったら心配させるようなことは言うな」と怒られ、また妊娠初期に夜中に出血をしたとき、上の子と一緒に寝ていた夫は私が出血したと言っても「そう」という態度。

仕方なしに私は1人で運転して病院へ行き、先生から「途中で大出血して意識を失ったらどうするの?」と驚かれました。

残念ながら流産してしまったのですが「この状態で運転させて返すわけにはいかない」と言われ、診察台で朝まで過ごしたことは忘れられません。

思い起こせばきりがありませんが、私の夫に対する絶望感、嫌悪感、恐怖感は日々つのり、そして夫からの威圧感は日々増していきました。

家の中ではいつも怖い顔、それだけで私はビクビクとした気持ちになり言いたいことも何も言えなくなってしまいます。

夫とは顔を合わせないように、なるべく同じ空間にいることがないようにと思うようになりました。

皆が寝静まった頃を見計らって布団に入るのですが、子どもを隔てた同じ空間に夫が寝ていると思うだけで息が苦しくなり、正常な呼吸ができなくなりました。

眠りにつくまで何時間も暗闇で息を押し殺して耐えてる日々が続いたのです。

そして思いつめた私は、自分の身を守るために下の子が部屋を移るタイミングで家庭内別居を実行しました。

客間は玄関を入ってすぐのところにあり、お風呂場も隣にあります。

深夜に帰宅する夫は玄関から客間に直行、私たちが2階で過ごしている間に食事や入浴を済ませて出勤するので、今ではほとんど顔を合わせることもありません。

きっとお互いにこの状態が良好なのではと思っています。


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