責任はすべて私にあった......29歳なのに「働けない」娘

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:心配性な母
性別:女
年齢:51
プロフィール:29歳の娘を持つ母親です。働けず何もかも私の所為にする娘にこの先の不安が増すばかりです。

 

1079770_615.jpg 
わが家には29になる娘がいます。小学校卒業の直前に私が離婚し、以来ずっと二人で暮らしてきました。中学2年の頃に不登校が始まり、高校は1カ月で中退。成人しても働く事ができないまま今に至ります。

原因は思い当たる事があり過ぎてどれか一つとは言えないのですが、おそらく一番は私の過干渉だと思っています。もともとひどい心配性で、娘から目を離すと途端に不安になってしまうので、幼い頃から娘の身の周りの些細な事も手を出し口を出してきました。

学校から帰る時間が少しでも遅いと、途中で事故にあっていないか不安で迎えに出たり、遊びに出掛けて門限の5時を過ぎると家と外を行ったり来たり。更に遅くなって辺りが暗くなってきたときなどは、誘拐でもされたのではと友達の家に電話をかけたり公園に探しに行ったりもしました。

離婚して二人だけの生活になった頃、否、それだけではなく娘が思春期に入った事もあるかもしれません。さまざまなストレスを抱えていたのでしょう。娘は急に学校に行かなくなりました。毎日毎日泣いたり怒ったり。私はそんな娘の気持ちを知ろうとせず、ただ学校に行かせようとしたので喧嘩になることもありました。学校の先生と娘との間でどうしたら良いのか混乱したまま娘に接していた事も良くなかったと今では思います。そう、すべては「今思えば」という事ばかりなのです。

不登校のまま中学を卒業し、高校に入学するもその1ヵ月後。当時通っていたカウンセラーから「嫌なら行かなくて良いよ」と言われたと学校に行かなくなり、結局そのまま夏休みを過ぎて退学届けを出しました。

「学校に行かないのならせめてアルバイトを」。これは私以上に私と娘の生活を心配してくれた親戚などからのアドバイス。でも私にとって重圧となり、それ以上に娘に重く圧し掛かる事になりました。あの仕事はどうだろう、このお店で働いてみたら、という私の言葉はどんどん娘を追い詰めていったのだと思います。私が必死になればなるほど娘は閉じこもりがちになっていきました。

唯一の救いは、娘が自分の気が向いたときは一緒に出掛ける事ができるという事。その頃よく聞く「ひきこもり」の子供や若い人の「部屋から一歩も外に出ない」という状態よりは少しでもマシだと思った私は、とにかく娘の好きなものや楽しいと言う事がある場所に誘いました。

娘が気になると言えばネットで調べたり書店で本を探したり。行きたい所ならホテルを予約して新幹線に乗って。それが娘の為にできるその頃の精一杯だと思っていました。

でも周りはその頃から私の「精一杯」が過ぎる事を心配していたようです。そして実際に娘は自分からは何もせず、それを責められると「だってママが」と何もかも私の所為にするようになりました。娘のその言葉を頻繁に聞くようになり、私自身も自分の行動や考え方が娘の為になっていないのではと思うようになってきたのです。

それがここ数年。誰から見ても気づくのが遅過ぎると思えるでしょう。本当に遅過ぎてどうしたら良いかと悩んでいます。でも母からは気付いたのだから大丈夫と言われました。そうだと良いなと......。気付けた事で私が変わって行けば娘も変わっていけるかもと思い、今もつい手助けをしたり先回りして身の周りの事をしてしまう自分を心の中で戒めます。

私も娘も簡単に変わっていけるものではありません。それでも少しずつ意識して私から変わっていく努力を続けています。

 

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP