<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ひまわり
性別:女
年齢:44
プロフィール:主人が単身赴任になって1年。ワンオペ生活にも慣れ、いまや主人は戦力外と諦めています。
主人が転勤になり1年が経ちました。
一年前に沖縄への転勤を告げられた時、ついて行くべきか否か悩みましたが、決断までのタイムリミットはたったの3日...。改めて日本の企業は残酷だと感じました。私は人事の仕事をしてきたので転勤の事情というのもわかるのですが、自分の身に降りかかってきて改めて「犠牲になった家族はたくさんいるんだろうな」と感じました。
まず考えたのは息子のことです。
息子は翌年が保育園最後の年になります。1歳から通い続けた保育園で、私も主人も保育園の教育方針が気に入っていました。息子も保育園のお友達、先生が大好きだった事もあり、やはりそこで卒園させたい気持ちが強かったのです。
「子供だから保育園変わっても覚えてないでしょ」と言った人もいました。そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。複雑な気持ちでした。
次に、私自身の仕事のことを考えました。
私は以前勤めていた会社でも転勤にまつわる苦い経験があったのです。当時まだ結婚していなかった私たち。そんなとき夫に転勤の話がでたので、これを機に籍を入れ一緒についていくことになりました。幸いにも私も仕事は辞めずに転勤扱いになりましたが、予定されていたマネージャーへの昇給の話が立ち消えになったのです。
その後、36歳だった私は早く子供が欲しくて妊活。すぐに授かり産休復帰して3年後に会社の業績が悪化、子育てしながら働く私には到底無理な出向の話があり、転職を決意しました。転職先探しも子育てとの両立を条件にすると限られていましたが、何とか無事転職し、ようやく落ちついてきたところだったのです。
考えに考えましたが、結局私は息子と残り、主人が単身で行く事になりました。
ちょうど七夕が近かった日で、5歳の息子が覚えたてのひらがなで「パパおきなわいかないでね。」と短冊に書き、胸が締めつけられる思いでした。野球に興味を持ち始め、週末になると主人と思いきり公園で体を動かし、主人がボールの投げ方を教えるたびに上達していた息子。そんな時間を奪ってしまうことを心苦しく思いました。
ただ、私は主人の単身赴任が「終わった後」に希望を抱いていました。
子供の小学校入学を機に、主人が元々帰りたがっていた主人の故郷に帰ろうと決めたのです。主人もそのタイミングならは故郷への転勤を認めてもらえると言って同意してくれました。それからは故郷の小学校の事を調べたり、また家族3人で暮らせることを楽しみにしていました。ですが、思いがけないことが起こったのです。
ある時主人が、故郷に帰らずにやはり東京にいた方がいいのではないかと言いだしました。その理由を聞けば、近々昇格試験がありもし合格すると数年後東京に戻る可能性がでるからとのこと。あくまでも可能性の話です。これを聞き、私には怒りが沸いてきました。
私は自分の昇進をあきらめて結婚し、やっとの思いで転職しました。自分のキャリアアップはあきらめ、子育てと仕事を両立する事だけを考えるようになりました。主人が転勤する前も子育ての大半と家事は私の役割でしたし、夫が転勤した後は完全にワンオペで毎日をこなす事で精一杯です。
故郷に帰る事に賛成してくれたのに、自分のキャリアの都合で約束を反故しようとする主人。私はたくさんのことをあきらめてきたのに...なぜこんなにアンフェアなんだろうと腹立たしく思ってしまいました。
結局まだ東京にとどまるのか故郷に帰るのか決まっていません。
主人を筆頭に、男性はまだまだ子育てに「参加する」レベルの人が多いのではないでしょうか。両立を強いられるのは結局女性です。息子達が大人になる頃にはこの価値観が大きく変わっていて欲しいと切に願うばかりです。
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