<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ひまわり
性別:女
年齢:44
プロフィール:結婚して8年、昨年主人が転勤し6歳の息子と二人暮らし。
3年前に義父が亡くなりました。亡くなる10カ月前にお盆で帰省したとき、義父がずいぶん痩せたように思いました。
食欲もあまりなく、明らかに様子がおかしいと感じ、主人や義母にも言ったのですが、夏バテ、年をとって食も細くなったから、と言われました。
しかし、そのうち下腹部痛を訴えたり、どんどん痩せていくと義母から電話で報告があり、病院に行くことを勧めたのですが、なかなか行く気配がありません。
結局、お盆から3カ月後にようやく近くの内科を受診し、大きな病院に行ったほうがいいとなり大学病院へ。
診断は肝臓がんステージ4でした。
恐らくかなり前から悪かったと思われます。
もう打つ手がない状態で、一度だけ抗がん剤を投与しましたが、効果はありませんでした。
義父は自営業でしたので急遽事業をたたむことになり、収入も当然なくなります。
そうなると、私達がいろいろ負担せざるを得ませんでした。
その頃、義父達の住んでいたマンションは家賃が高かったので、引っ越しを勧めましたが、それも全く進まず、結局義父の亡くなる3カ月前に、もう少し経済的に負担の少ないマンションに引っ越しました。
義母は最後までしぶっていましたが、経済的にもそのほうがいいと説得しました。
長年住んだ所を離れるのも嫌だろうし、高齢となると動くのも大変だと思うのですが、正直そうも言ってられない状況でした。
引っ越しの準備は義姉と主人で進めました。
私は子どもがまだ小さく、遠方にすんでいたため、冷凍した食事を作って送ったり、新しい家電家具の購入など自分ができることをしました。
もちろん、費用はこちらが殆ど持ちました。
それに対し、特にお礼を言われるわけでもありません。
義姉、息子、私がどんどんことを進めることに、義母は腹を立てていたようですが、仕方ありませんでした。
なんとか引っ越しも無事に終わり、義父は殆ど家で寝たきりになりました。
義母はもともとテキパキ動くほうではないうえに、精神的に参ってしまい、一緒に寝込んでしまいました。
義母に負担をかけてはいけないと思ったのでしょうか、義父は自ら緩和ケアに移ると言いだし、亡くなる3週間前に緩和ケアに移りました。
義父が亡くなる2週間前、私はもう話もできなくなるかもしれないと思い、一人でお見舞いに行きました。
ずいぶんと痩せてしまった義父と長く話すことはできなかったのですが、最後に義父は最近みた夢の話をしました。
私が第二子を妊娠する夢だったそうです。
この頃息子は3歳でした。二人目がそろそろかな?と思ったのでしょうか。
そんな話をしながら薬のせいか義父はウトウトしていました。
ちょうどそのとき、義母と義姉が病室に現われました。
義母は義父が緩和ケアに移ってから体調を取り戻したようでした。
そろそろ帰ろうと思ったとき、義父のベッドの足元で義母が「お父さんのお葬式どうしたらいいと思う?」と相談してきたのです。
この不謹慎すぎる言葉に、思わず「義母さん、ちょっと......」と病室を連れ出しました。
「いくらなんでもここでその相談は不謹慎です」というと「どうせ聞こえてないよ」と......。
そういう問題なんでしょうか? 長年連れ添った仲なのに、なんでそんなこと言うのでしょう。
信じられませんでした。
「ここではそういう話やめましょう」と言って、私は帰りました。
帰って主人にもそれを報告をするとさすがに引いていましたが、どこかそういう薄情な
一面があることは主人はわかっていたのかもしれません。
その2週間後、義父は亡くなりました。
義母の負担を考え病院に移る選択をし、最期は病院で息を引き取った義父。
もしあの会話が聞こえていたならと思うと、とても切ない気持ちになりました。
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