娘は「使い勝手のいい介護人」? 感謝の言葉もなく逝った父にとって、私の存在は何だったのか......

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:あめゆじゅ
性別:女
年齢:56
プロフィール:子育てが終わると介護に突入。典型的な昭和ど真ん中の生活を送ってきました。

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昨年の秋、実父は86歳でその生涯を閉じました。末期ガンでしたが、父の最期がいつ来るかなんて予想は全くできませんでした。「突然」......そんなことばがぴったり当てはまるように夜中にひっそりと逝きました。
その夜、食欲がないと言って食事をほとんど食べなかった父。「もう少し食べたら?」と促した私に、「年金をあてにしとるからな」と言ったのが父の最期の言葉になりました。私が父の年金をあてにしている、そんな風に思っていたのでしょうか。「無理にでもご飯を食べて少しでも生かしておきたいんだろう?」......そんな風に受けとれました。

父が亡くなって、兄と葬儀の準備を進めながら、介護していた父のことを思い出のように語っている中で、腑に落ちないことがありました。

普段私が在宅で父の面倒をみていたのですが、少しでも兄にも負担してもらいたかったのと、認知症で変わりゆく父の姿を知ってもらいたかったこともあり、年に数回ほど父を兄の家に送り出していました。ゴールデンウィークやお正月など兄が長期休暇になるときで、長くても5日、短くて3日ほどのことです。着替えや歯磨き、毎食後の薬のことなど「父の『トリセツ』」をメールで送っていましたが、いつもは私がやっていたお風呂や歯磨きなどは「一人で出来る、お前(兄)にこんなことはさせられん」と言ってさせなかったそうです。
兄の家から帰宅すると、父はよく「隆(兄の名)には本当によくしてもらった」そう言っていました。実際、認知症で空間認識が欠落した父は、手狭な兄の家のトイレの場所も覚えられません。1人で寝かせると玄関やベランダなどにオシッコ溜まりができることもありました。ですので兄は父と布団を並べて寝て、夜中に何度も起きる父に付き添ってトイレまで誘導していたそうです。そのため昼間は睡魔に襲われて毎日のように昼寝。近くを散歩することはあっても何処かに出かけたりはしていません。それでも、父は毎回「よくしてもらった」そう言って帰宅していました。

認知症で空間認識に欠け、過活動性膀胱に前立腺肥大。そんな父の一番の困りごとはトイレ。同居を始めた頃はまるで戦いでしたが、居室からトイレまでつながる廊下にカーペットを敷いて目隠しをしてでも行けるようにしたり、毎回のように汚す便器周りにはタオルを敷き詰めたりして、なんとか対応。それでも、あちらこちらにできるオシッコ溜まりを無言で拭く生活は最期まで続きました。

歯磨きもまともにできず、歯槽膿漏で救いようもない状態だった口の中も、毎食後手伝ってきれいにし、根気よく歯科医にも連れて行って入れ歯を作ってもらったり、放置してひどくなった白内障の手術を受けるために病院に行ったり......あげればきりがありません。父との生活で提供した私の時間はとてつもなく多いのです。
感謝をしてもらいたくて父の世話をしていたわけではありませんが、最期の言葉は悲しい思い出として残りました。父は一人で暮らしていたときにも「娘は使い勝手がいい」とか「年寄りも誰かに甘えたいときがある」とか言っていいように使われてきた私。娘という存在は、父親にとって一体何だったのでしょう。
兄には「(父は)きっと感謝してると思う」と言われたけれど、なんだか現実味がありません。兄に「お前が父の面倒をみてくれたから介護離職しなくて済んだ」「俺は本当に感謝している」と言ってもらったことだけが、せめてもの救いになっています。

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