親の家をリフォームした三石久美子さん(67)。しぶしぶ取りかかったリフォーム前の片付けが、思いのほか楽しい作業になったそう。押し入れや納戸の奥、簞笥の底に眠っていたものたちが記憶する家族の歴史を一つひとつ思い起こしながら、自分の来し方行く末を見つめ直す、深く豊かな時間になったようなのです。
親の遺品と格闘するうちに人に貸そうとようやく決心がつきました。
三石久美子さん(67歳)
「遺品整理を最初から業者に頼んでいたら、こんなにすっきりした気持ちで人に貸そうと踏み切れなかった」と、三石さんは言います。心を整理するためにはたった一人で遺品と格闘するプロセスが必要でした。
幸福の絶頂から悲しみのどん底へ
最初は三石さんの実家を増築して2世帯住宅に改装。借地権だったためバブル期に地上げに遭い、三石さんの父と夫の共同名義で土地を購入(父の権利分9分の2)したのを機に、現在の2世帯住宅に建て替えました。1階が親世帯、2階が子世帯(夫婦と1女2男)、玄関は別にしましたが、内扉で世帯が自由に行き来できるようにしました。子どもの成長に伴う波風は立ちつつも、平和な家族の日常が続いていました。
そんな中大手流通企業に勤めていた夫が早期退職し、かねてからの夢だった食品関連の事業を起こしました。しかし、事業は思うようには進展せず、夫はその心労によるうつ病の果てに58歳で亡くなりました。三石さんが50歳のときでした。三石さんは、ここに家を建てた翌年、夫の全面的支援のもとガレージを改装してリサイクルショップを開業していました。
店を開けたのは夫の葬儀から1週間後、三石さんが以前と変わらない笑顔で店に復帰したのは1カ月後のことでした。「私が笑顔でいることが、この苦境を乗り越える最大の策だと直感的に確信したからです。最初は一所懸命演技していましたが、気がついたら本心から笑顔になっていました」
約100万円(廃棄物処理代、クリーニング代を含む)
敷地面積約198㎡
床面積約62㎡(親宅)
●寝室と居間の床をカーペット敷きからフローリングに変更。
●和室の畳を張り替え
●システムキッチンを交換
2世帯の家族のドラマが詰まった家
上:リフォーム前 下:リフォーム後
カーペット敷きだったリビングと寝室(写真奥)をフローリングにリフォーム。残すつもりだった飾り棚も、最終的には処分しました。
夫の死は、当時高校3年生だった次男にはとくに過酷な出来事だったようです。大学受験どころではなくなり推薦で大学の夜間部へ入学したものの、将来の目標を見出せず中退。その後、レストランでアルバイトを始め、そこで調理師の道に目覚めたと言います。「主人と同じ食の世界へ進んだことに、何か運命的なものを感じます」と、三石さん。
ガレージスペースを改装したリサイクルショップ(写真上)。ご近所はもちろん、電車を乗り継いで訪れるお客さんもいます。
店では毎週木曜日、ご近所の料理名人の主婦が作ったお惣菜を販売しています。
3人の子どもたちが人生の節目を迎えるたびに、三石さんは、「夫ならどうするだろう」と、心の中で夫に問いかけながら子どもたちの相談に乗ってきました。そして、昨年、末っ子の次男が結婚。無事に親業を卒業しました。
その後、「一人では寂しいだろう」と気遣ってくれた父親の提案で、夕食は両親とともにするようになりました。その父が4年前に93歳で他界、母親も、昨年、89歳で亡くなりました。
母親が亡くなった日は店の定休日で、三石さんは外出していました。帰宅したのは夜9時過ぎ。「母はとっくに寝ている時間なのに、電気がついていたので胸騒ぎがして覗いてみたら、眠っているように亡くなっていました」。死因は、脳内出血でした。
あまりに唐突な死に、「頭が混乱し、現実をうまく受け止められなかった」と言います。
遺品を整理しながら心も整理。何もない空間のすがすがしさ!片付けがこんなに楽しいとは!
三石家の居間でパピヨンの愛犬クー(11歳)と
母親は生前、家財道具について、「私が死んだら好きなようにして」と言っていたそうです。しかし、夫のときと違って、母親が亡くなったときは、虚脱状態からなかなか抜けられませんでした。ようやく遺品の整理に取りかかったのは、母親の死から8カ月が過ぎた昨年末のことでした。
三石さんは、当初、両親の住まいを地域のコミュニティースペースとして利用してもらおうと計画していました。「そうすれば、両親が愛用し、私にとっても思い入れのある家具を捨てないですむ」と考えたのです。
しかし、主のいなくなった住まいは、時が経過するにつれ汚れだけが目立つようになります。具体的な方法が決まらないまま、三石さんは、妹さんと相談しながら処分する荷物の整理を始めました。粗大ゴミとして出す家具を解体し、押し入れから布団を引っ張り出し、食糧庫から期限切れとなった食品の山を引きずり出し......。まるでゴミ屋敷と化した家で、最後はたった一人で遺品と格闘する日々が続きました。そして、あるときふっと吹っ切れたかのように、「リフォームして短期貸しの賃貸住宅にしよう」という結論が出たのです。
遺産相続に関しては、姉の三石さんが不動産を、妹さんは相応分を現金で相続することになりました。
三石さんは、リサイクルショップを開業した当初から、「風通しのいい地域の情報基地」になることを目指してきました。風通しがいいとは、見栄を張らず、「困った」、「助けて」を素直に言える場。そんな情報基地があれば、情報が循環し、必要な情報が必要な人に届きやすくなると考えたからです。今回のリフォームでは、三石さん自身がその恩恵に預かることになりました。「リフォームにそんなにお金をかけられない」、「両親の思い出が残る家具を残したまま短期で借りてくれる人はいないかしら」と、誰にともなく発信していた情報が、まさにずばりの相手に届いたのです。
2トントラック2台分の遺品を処理し、残す予定だった家具も、リフォームが進むにつれ未練が消えていき、結局きれいさっぱり処分したそうです。「ものを整理したあとに空間が生まれたときのすがすがしさが楽しくて、自分の荷物の整理まで始めました」と話してくれました。
取材・文/松本なつ子 撮影/山田鎮二 図面製作/トロン