<この体験記を書いた人>
ペンネーム:なずな
性別:女
年齢:57
プロフィール:子育ても終わり一息つきたいシングルマザーです。
母が亡くなり今年で7年になります。
その母が75歳でまだ元気だった頃。
母は実家で一人暮らしをしていたのですが、気弱なことを言うようになったのが心配で月に一度帰省するようになりました。
実家は県外ではありましたが、電車で行ける距離。
2人の息子は高校生(16歳)と大学生(19歳)だったので、家を留守にすること自体は心配ではありませんでした。
しかし、月に一度の帰省は結構な負担で、自宅に帰ったと思ったらあっという間に1カ月が過ぎ、帰省しなければならない日がやってくるのです。
気弱になったとはいえ、母は寝込んでいるわけでもなく、何か大きな変化があったわけでもありません。
だんだん帰省することが負担になり、イライラして電車に乗ることが増えました。
でも、無理しなくてもいいとは思いながら、気弱になっていく母を放っておく事に、罪悪感もあったのです。
そして忘れもしないあの夏。
再び帰省し、真夏の日差しに汗だくになりながら、ようやく見えてきた実家のドア。
これで一息付けると思いながら家の中へ入ると、熱気が体にまとわりつきました。
窓は全て閉まっており、家の中は外と全く変わらない暑さです。
何やってんだか、と思いつつエアコンをつけようとリモコンをとると、すでに稼働中。
しかし、冷房ではなく暖房になっていたのです。
しかも一番強い設定だったので、送風口からは暖かい風がボーボーと!
日頃からのんびりしている母なので、うっかりしたんだと2人で大笑い。
帰省するまではなんだかイライラしていても、母の顔を見るとホッとするんです。
母親に会うと少し子供に戻ったような気持ちになるのは、私だけじゃありませんよね?
なんだかんだと楽しく過ごして2日程泊まり、身の回りの世話をして家に戻りました。
それから、1年ほどして母が癌になり引き取ったのですが、その時、認知症であることが分かりました。
担当医から、認知症の症状についていろいろと教えてもらう中に、エアコンの暖房と冷房のスイッチの間違いもよくあることの1つだと教わりました。
あの夏の日のことをすぐに思い出したのは、言うまでもありません。
離れて暮らしていることで小さな変化に気付けず、母親にはいつまでも母親でいてほしいとの思いから、見えなくなっていることも多かったのだと強く感じました。
申し訳なさで涙がぽろぽろと出て、話も出来ないくらい泣いてしまいました。
あの時気付いてあげていたら、もっと早くに引き取って一緒に暮らしていたらと、後悔が募るばかりでした。
当時は周りの人にその話をしても「仕方のない事だから気にしなくてもいい」と励まされましたが、勝手なもので全く気が晴れませんでした。
それから1年半程闘病生活を送って母は亡くなりました。
私のせいでつらい思いをさせてしまったと思い悔み続けてきましたが、7年が過ぎ、気が付けば母を亡くした頃に比べると気持ちが随分と軽くなっています。
時間薬とはよく言ったものですが、何か大きな出来事があったわけでもなく、時間が過ぎて段々と軽くなっていったんだと思います。
それでも母を思い出すたびにチクリと胸が痛むのは仕方がないですね。
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