<この体験記を書いた人>
ペンネーム:kou
性別:男
年齢:52
プロフィール:小学生の1人娘と料理が出来ない妻がいます。
両親との思い出は、親が誰かに頭を下げていたこと、自分が親に迷惑ばかり掛けてきたことしか覚えていません。
私の家は5人家族で、両親、兄、姉、私は3人兄姉の末っ子です。
ですが今現在(2021年)は、両親と姉がすでに他界し、もう家族は兄だけになってしまいました。
兄、姉ともに真面目な人でした。
一方、私はとてもやんちゃ坊主だったため、母からは「上の2人を見習え」と日頃から言われ続けていました。
私は兄姉と比較されるのが本当に嫌でした。
比べられることへの反発もあったのか、私は20才になるまで金銭面のことや人間関係のことなどで、両親に迷惑ばかり掛けてしまいました。
地元の警察にもよく捕まり、親を呼び出されて迎えに来てもらった事も多々ありました。
警察から自宅に帰る際、よく言われてたのが、「いつまでたっても親は親、子は子」という言葉です。
当時は特に感じ入ることもなく、ばつが悪かったこともあり「ハイハイ、分かりました」という感じで聞き流していました。
11年前、41歳で私も結婚し子どもができました。
当時は仕事が忙しかったため、1年に2、3回しか両親に住む実家に顔を出せずにいました。
ですが、孫を会わせなければとなんとか足を運ぶと「いつまでたっても親は親、子は子」と言われ続けました。
私も親になったというのに、まだ言うのかと思いました。
ゆくゆくは、両親、兄姉、私の家族で旅行に行きたいと思っていましたが、結局何処にも連れていく事ができませんでした。
姉、母、父が2018年から1年おきに亡くなってしまったからです。
私の子供も成長し小学校高学年になりました。
いろいろといたずらをするので、そのたびに怒ったり、心配したり忙しい日々を過ごしています。
一人娘なので、余計に守りたい気持ちになるのでしょうね。
そんな時にふと両親に言われてた言葉を思い出します。
どんな時でもどんな状況でも「いつまでたっても親は親、子は子」なのです。
当時両親が何を私に言いたかったのか、ようやく気付きました。
何があっても、いつまでたっても子どもの私を守りたい、守ってやるよということだったのでしょう。
「後悔先に立たず」、「親孝行したいときには親はなし」とつぶやく時があります。
どんなに後悔して、今までの感謝を込めて親孝行したいと思っても、両親はもういません。
こうしておけば良かった、もっと話せば良かったと思わない日はないくらい、両親の言葉の意味を真剣に考えなかった自分を悔やんでいます。
両親兄姉との旅行ができなかった分も、私の子どもにはよい思い出が残せるよう、年に数回ですが旅行に出かけています。
家族の楽しい思い出が娘の心にずっと残ることを願いながら。
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