毎日が発見ネットの連載で「キッチン夫婦(妻)」としておなじみのべにゆうさん。彼女は40歳の時、14歳の息子がいる夫と結婚、以来、8年間にわたって生活を共にしてきました。ある日、中学2年生の多感な男子の母親になる――。継母としていろいろな出来事や、想いがあったと言います。今回は夏の特別連載として、10日間連続で「40歳の女性が、ある日、14歳の継母になった物語」をお送りします。
【前回】好きな料理は? 何を喋ればいい? 「夫不在」の気まずい夕食...
【最初から読む】40歳だった私が「14歳男子の継母」になることを決めた日/14歳男子の継母になった私(1)
息子に英語を教えることに。やる気なさげな態度にモヤモヤ
当時中学2年生の息子は英語が苦手で勉強の仕方もわからなくて困っていた。
夫に「べにゆうさん、Yに英語を教えることってできる?」と言われ、私で大丈夫かな?と不安ながらも、息子とのかかわりが増えるしこれは頑張りどころだぞ!と思った。
「うん!Y君が私に教わるので良ければできるよ」と了承。
しかし後で想像以上に"大変だぁ~"となった。
中3の秋まで週1~2回、1年ちょっとの間教えていた。
単語を覚えてくる宿題を毎回出し、次の時間の始まりに覚えているかをチェック。
最初の4、5回は覚えようと取り組んでくれた感触があったけど、それ以降はあんまりやってくれなかったなぁ.......。
「宿題」として出した単語なのに、私の前に座ってから、私の目の前で宿題の分を書き始めている。
意味ないし・・・・そりゃ違うわ・・・。
そう思いましたが、少しも怒れない。
注意もできなかった。
それから勉強中に居眠りするようになってしまった。
「Y君、眠いかぁ、頑張って」くらいは言えるが、注意するというのが難しくって.......。
「頑張って」「声に出して読んで」とか「眠いか~じゃ一回起立してみよ」で一緒に起立して、さぁやり直しだよ~っと始めても同じ。
でもわかる。いったん眠くなると、目に力入れて開いて見ても、手の甲をつねってみてもだめなんだよね。
教える前日には、60分を想定して進め方や練習問題などを考えておく。
当日は通常よりも仕事を早めに切り上げて帰宅する。
リビングで始まる時間に息子が2階の部屋から降りてくるのを待つ。
ある日、息子が時間になっても来なかった。
すぐ呼べばいい? ちょっと待つ?
結局5分は待ってみたが、音がしないので1階から呼ぶ。
反応なし。
2階の部屋の前で呼んでも応答なし。
ドンドンドンとノックする。応答なし。
困る~困りすぎる~!!
待つ?でも30分とか過ぎてから来ても困るわ~夕飯の支度もあるのよ。
しかしドア、勝手に開けるわけにはいかないよな.....どぅぉしよ~。
夫に電話すると、夫が息子に電話して、ようやく起きたようだ。
そして10分以上遅れて何事もなかったように勉強が始まる。
私は「寝てしまったの?」とか「学校で疲れた?」とかは聞けたけど、「時間には必ず来て欲しい」とは、当時は言えなかった。
時間になっても息子が現れないことは3度あった。
やっぱり息子は嫌々やっているのに違いないと思う方が普通だろう。
「あんまりやりたくはないけど、一緒に住んでいる人だし言いずらい」
そんな感じかな......と。
私は親の立場であり、ちょっと先生をやっていたこともあったのに、宿題さえちゃんとさせることもできない。
教えたくない訳ではないが、このままだと意味がないと考えた。
お父さんから提案されて、私にも気を遣って「教えてもらう」って言ってるに違いない。
ずっともやもやしたままでもいけないから、夫に思い切って言ってみた。
「Y君、英語ほんとはやりたくないんだと思うよ。でも言えないんだと思う。Kさんから差しさわりないように聞いてみて。私が教えたくないわけでは全然ないから。Y君が続けたければ私も続けたい」
しかし夫は「Yに聞いたんだけど"べにゆうさんに教えてもらいたい"って言うんだんだよね」と言う。
これには、本当にびっくり。
「教えてもらいたい」と言ってくれたことは素直に嬉しいし、どこか安心した。
だが訳がわからない。
じゃあなんで、時間には遅れてくるし、宿題はやらないの・・・・と困惑。
今思うと、息子と一緒に住み始めたばかりの私には、「教える」というのはまだまだハードルが高すぎたのかもしれない。
家族なんだからあんまり先生っぽくならないようにしなきゃとか思ったり、逆に言い方が優しすぎるから宿題やってくれないのかなぁっと思ったり。
そう思い悩んで進めてきたけれど、実は息子の勉強に絡んで、他にもショックを受ける出来事があった。
見つけてしまった...「まっさら」なノート
私は夫と息子と一緒に住み始める前にも、息子に英語のワークブックのようなものを手書きで2冊作ったことがあった。
1冊は中1の前半の復習に、もう1冊は中1の後半の復習用に。
息子があまり勉強しないことを嘆いていた夫が、「べにゆうさんが書いてくれた英語のノートだけはやってるんだよね!」と言っていて、それが励みになった。
きっとY君には合ってるんだと思い、張り切って手書きのワークブックを作ったのだ。
私がノート丸々1冊を作るのに7~8時間はかかった。これを2冊。
が、一緒に住んで1年以上過ぎたある日、息子が洗い物をためていないか確認するために部屋を見ると...。
こ、これはまさか...私が作ったノートではないか!
外から見ただけでも「使った感じ」はない。
そして開いてしまったら...なんて見事な「白紙」!
見てもいないな......きれいなもんだわぁ~。
大ショック!!はぁ.........泣き笑いが出るわ。
英語が苦手な子でも一人で勉強できるようにと時間をかけて作ったのに。
たぶん1冊目はいくらかはやってくれたんだと思う。
けれども私が見つけた2冊目は全く使ってもらえてなかったことがショックだし、夫が「息子は使っている」と言っていたこともショック。
私としては事件です。
もう君たち勝手にせいよ!と思った。
これは実はすごく引きずった。
少し不信感さえ持ってしまった。
数年間はこの出来事を思い出すと、なんとも言えない嫌な気持ちになった。
白紙状態を見ちゃったことは息子には今でも言っていないが、たぶん本人はそんなこと忘れているだろうから、もうそれでいいし。
感情と言うのは不思議なもので、このことで私が抱いていた嫌な気持ちはいつしか消えていた。
なんでそんなに嫌な気持ちになったかもうわからないほど。
きっと、事あるごとに心の中に渦巻くように蘇ってきていたのは、「息子のために」と純粋にやっていたように見えて、どこかで私が「見返り」を求めていたからなのでしょう。
「おかげでわかるようになった」
私はそんな言葉を求めていたのだと思う。
今はそんなことにこだわっていた自分が少し悲しい。
「私がこうしたからこれだけ返して」っていうのは、親として純粋に子供を思う気持ちとは違うと思う。
夫を見ていて気がついた。
夫はシングルファーザーとしては8年間ほど息子を育ててきた経験があり、夫の愛情は本物だ。
実際親鳥と巣立つ前のひな鳥のようだと二人を見ていた私。
私は親としては未熟そのものだった。
それをわかっているから、どこか羨ましかったのかも知れない。
夫と息子はずっと前からお父さんと息子、息子が生まれた時からずっと一緒。
たくさんの思い出と絆、つながり。
言わなくても伝わることも多いと思う。
それがわかるから、羨ましかったり、自分にはどうしようもできないことが悔しかったのかも知れない。
◇ ◇ ◇
家庭内でのそうした苦悩を経て、私は徐々に「息子の外の繋がり」にも接点を持ち始めた。
息子が中2の秋から親の立場になった新参者の私だけど、少しだけ息子の学校行事や部活の試合にも顔を出すようになったのだ。
だけど周囲にどう挨拶したらいいかなど戸惑うことばかり。
この話はまた次の回で。
つづく
【次回】継母の私が初めて息子に触れた...「忘れられない瞬間」/14歳男子の継母になった私(4)
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