<この体験記を書いた人>
ペンネーム:masako
性別:女
年齢:54
プロフィール:小説家志望の主婦です。小説家志望の友人たちのマウントの取り合いに困っています。
54歳の主婦です。
56歳の夫と2人暮らしです。
小説家志望で、以前は小説講座に通っていました。
講座を辞めてからも、その頃の友人たち(40代~50代の男女数人)とは、月に1回程度は飲みに行ったり、食事会を開いたりする付き合いが続いていました。
コロナ禍でも交流は続き、オンライン飲み会で顔を合わせています。
同じ夢を持つ仲間と語り合うのは楽しく、心の支えでもあるのですが、最近、ちょっと違和感を覚えるようになりました。
なぜかというと、小説の新人賞に応募した結果でマウントを取り合う傾向が顕著になってきたからです。
賞によって違いはありますが、一般に小説の新人賞は、比較的多くの応募者が通過できる一次選考に始まり、二次選考、三次選考と振るいにかけられ、3~5作が最終選考に進むというパターンが多いです。
ですので、同じ落選でも「一次通過者よりも二次通過者、二次通過者よりも三次通過者、三次通過者よりも、最終選考に残った候補者のほうが上」という一種のヒエラルキーや、カースト制のようなものがなんとなく存在していました。
そのため、実際に顔を合わせていた頃は「三次通過して凄いね」とか、「最終選考に残るなんて、プロ並みだね」とか他人を称える時の指標のように使う時もありました。
その時点では、自分の通過歴を自ら誇る人は、私が仲良くしている人たちの中にはいなかったのです。
ところが、オンライン飲み会という直に会っていない気軽さからでしょうか。
たとえばAさん(40代男性)は、一次通過しか経験していないBさん(40代女性)に対し、こんなことを言うのです。
「Bさん、俺が去年二次通過したA賞に応募してみたら?」
「俺が二次通過したA賞と違ってB賞はさ...」
などなど意味なく「俺が二次通過した」を枕詞のように連呼してマウントを取ります。
それを聞いたCさん(50代女性)は「A君の言っていることもわかるけど、三次通過経験者の私から見るとね...」と、今度はAさんに対して「私の方が上」とマウントを取るのです。
さらに、Aさんにマウントを取られたBさんも、いまだ一次選考すら通過経験のないDさん(40代女性)に対しマウントを取ります。
「Dさんも一次選考を通過するとわかると思うんだけど、一次を通過するのとしないのとでは大きな違いがあると思うの」
あきれてしまうのですが、こんな「マウントの取り合い」が、オンライン飲み会のメインになってしまったのです。
そして、Dさんがめでたく一次選考を通過すると、今度は「一次も通過できない人って、才能ないんじゃない」などと言い始め、みんなで「そうだ、そうだ」と盛り上がるようになりました。
私は小さな賞ですが、最終選考に残ったことがあります。
でも、私は一次落ちだろうと最終選考に残ろうと、受賞できなければ皆同じだと思っています。
ドングリの背比べなのに、マウントを取り合ったり小馬鹿にしたりするのは間違っていると思います。
ですが、そんなことは言えませんし、かといって、グループと距離を置くのも寂しいので、どうしたらいいのかわからず困っています。
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