<この体験記を書いた人>
ペンネーム:tatayayu
性別:男
年齢:43
プロフィール:ピアノ演奏・スポーツジム・プログラム入力・英会話・オンラインゲーム等、様々な趣味に生きる中年です。
私の母親(65歳)は25年ほど前の40歳の時に脳梗塞という大病で倒れまして、それ以来寝たきりの状態でいます。
その日から少しずつ私の生活が変化していきました。
当時18歳だった私はこれからどのように生活をしていけばよいか? と生まれて初めて考えました。
脳梗塞という病気は、ダメージの場所や血栓のサイズによって後遺症のレベルが全然違うというお話でした。
だからまず私がしたことは、脳梗塞について知識をつけることでした。
その結果、母親は元の生活に戻るのはおそらく無理だろうという事。
そして、自宅介護か施設入居かの2択を選択する事になるだろうという事が分かりました。
父親は「自宅で面倒をみたい!」という思っていましたが、私自身はプロのいる施設に入ったほうが、母親の為にも家族の生活の為にも良いのではないか? と思いました。
しかし、最終的に父親の意思を尊重することになり、いよいよ自宅介護が始まりました。
母親は寝たきりであっても、ゆっくりとではありますが、意思疎通ができました。
例えばテレビを見ていてクスクスと笑ってみたり、あかさたなのボードを指して会話をしたりできるレベルに回復していたので本当に良かったです。
介護体制は、昼間は週に何回かヘルバーさんに来てもらい、それ以外の日は私と親戚、夜中は父親と兄が介護をするという体制。
途中で私は、仕事の関係もあり実家を出て一人暮らしを始めたので介護をする回数が減ってしまいましたが、何とか続けました。
実家を出ることになり父には申し訳なかったのですが、20年間位はこの体制で母の介護をしたのです。
そして、今から5年ほど前に父親が定年退職をした際に田舎に引っ越しをしまして、ほぼ父親1人で介護をしている状態になりました。
そこから3年後の今から2年前、父親の体調が悪くなりました。
私は車で3時間ほどかかる両親の家まで通い、兄や親戚も休日に時間を作って通うという状態に。
もともと長い介護生活で疲弊しきっていたのに、遠距離になった事によって時間的にもお金的にも体力的にも、みんなが限界を迎えるのに時間はかかりませんでした。
そして、家族会議により施設のお世話になろうと決めたのです。
私と父親と2人で母親へその事を伝えました。
その時に、ビックリする事が起きてしまいました。
母親が倒れてから、一度も聞いた事がないほどの大きな声で泣き始めたのです。
施設には絶対に入りたくないという事なのだと思い、すぐにではないと説明し何とかその場を収めました。
それから2年たっても母には何も言い出せずに自宅介護を続けています。
少しでも介護を経験した事のある方ならお分かりになると思いますが、介護している時はもちろんですが、それ以外の時間も常に気を配らなければいけません。
とにかく負担が大きく、疲弊してしまいます。
もちろん、一番大変なのは母親だということも分かってはいるのですが...。
最近は若年性の脳梗塞や脳出血にかかる方が多いというお話をよく聞きますが、母親も今の私よりも若い40歳位で寝たきりになってしまい、可哀そうでなりません。
私は子供の頃に母にたくさん迷惑をかけました。
おかげでそれなりの大人になり、今も何とか楽しく生活を送れています。
母親には感謝しかありませんが、もう限界というのも正直な気持ちです。
世の中には同じ様な経験をした方も少なからずいらっしゃると思いますが、どのような対応をしているのでしょうか。
もし、私と似た境遇の方がいたら、一度話をしてみたい、そう思う今日この頃です。
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