<この体験記を書いた人>
ペンネーム:茉莉花
性別:女
年齢:51
プロフィール:アラフィフのシングルマザーです。3人の子どもがいます。
2021年春、長子が大学生になりました。
毎朝早起きして、片道2時間弱かけて電車通学する姿を見ていると、大変だなあと思うのと同時に、自分が学生の頃を思い出すようになりました。
私は、早起きも通学に時間をかけることも実家から通うことも嫌だったので、学校近辺に学生寮がある大学を選び18歳で家を出ました。
その頃、私が大学生になる前から世間はバブル景気で盛り上がっていました。
私が通っていた地方の大学でも、前髪を立ち上げたり簾のように垂らしたりして、肩パッド入りのきらびやかなスーツとハイヒールで通学している人がたくさんいました。
私は仕送りなしの寮生活をしていたため、ど派手な遊びはしなかったけれど、少し頑張ってアルバイトをすれば、寮費などの支払い以外にお小遣いが貯まるという好景気でした。
それでたまにカクテルバーやディスコに行ったり、友だちと一緒に旅行に行ったり...自分の手で青春を謳歌しているという感覚が常にありました。
あ、もちろん勉強もしていましたよ。
遊びで徹夜をしても次の日はちゃんと朝から講義を受けて、夜の飲食店アルバイトも行けたのですから、体力があったんでしょうね、当時は。
毎年就職活動の時期になると、在寮している3回生、4回生へ向けて全国から求人冊子が送られてきて、それが、寮の玄関に山のように積まれていました。
黄色い表紙がとても目立っていたのを今でも覚えています。
天井まで届くのではないかという勢いで、毎日冊子が運び込まれ、どんどん山が大きくなっていくのです。
寮生活1年目の時、初めてそれを見たときは無性に感動しました。
4年たったら、私もこのたくさんの冊子から自分に合う仕事を見つけて、卒業していくんだなあ...と何故か感慨深くなりました。
大手企業から地元密着型企業まで多種多様な求人募集があり、文字通り、私たち学生にとっては、引く手数多な時代でした。
私が通った大学は教育系だったので、実際は企業に就職するより、教員採用試験を受ける人が多かったのですが、そんなの関係ね~とばかりに、求人冊子は毎年積まれていました。
私の年代が就職活動に入った時は、バブルの終焉直前だったのですが、まだまだ企業側が頑張っていました。
私は計6社面接に行ったのですが、そのうち3社は交通費は企業側負担でした。
そして、帰りには企業のロゴがついたグッズをこれまたロゴ入りの紙袋に入れて、たんと持たせてくださいました。
中には図書券が入っていたところもあり、有難く使わせてもらいました。
1次面接はどこも簡単に挨拶をするだけで、難なくスルーしていた感があります。
そして2次面接に進めば、まず、採用間違いなし。
実は私は公務員採用試験と併願していて、結局そちらが合格したので、企業には就職しなかったのですが、初任給は確実に企業の方が高かったです。
企業へ就職した寮の友人に「もったいない~」と言われたのを覚えていますが、今は公務員の方が恵まれているかな?
ちなみに私の4つ下の弟は、バブル崩壊後の「失われた10年」時期に就職活動でしたが、希望の職には中々就けず、大変だったようです。
「姉貴の時代は良かったよなあ」と今でも羨ましがられます。
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