<この体験記を書いた人>
ペンネーム:myb
性別:女性
年齢:46
プロフィール:15年間の結婚生活に終止符を打ち、歩み始めたばかりのシングルマザーです。
義父は昔から怒りっぽい性格です。
私が結婚をして義父と関わるようになった当時、義父はすでに70歳。
話が通じずに怒るのは、耳が遠くなっているせいかと思っていました。
ところが77歳頃から、だんだん不思議な行動が増えてきました。
それでも、元々のマイペースな性格もあるので、また不思議なことをやっているな、くらいに思っていました。
しかしある時、ローソンとセブンイレブンとファミリーマートで、それぞれ「いちごジャムとマーガリン入りのコッペパン」を買ってきた義父。
3つのレジ袋に入れられた3つのコッペパンを見た時に、私は、「これはさすがにやばい!」と感じました。
他のお店でコッペパンを買ったことを忘れ、次々と購入してしまったのは明白です。
私は、義父の認知症を疑いました。
しかし、本人に受診を勧めるも断固拒否。
保健センターや地域包括支援センターに相談をしても、なかなか訪問をしてくれません。
「専門ではないので診断はできない。専門医の受診を促すことはできるかもしれないが、本人の意思がないと難しいと思う」
困り果てて、義父かかりつけの医師に相談してみましたが、結局、義父を説得して受診してもらうしかないようです。
そうこうしているうちに、義父の行動はますます怪しくなり、当時第2子妊娠中だった私は、すがりつく思いで地域包括支援センターに強くお願いをしたのでした。
そこから訪問日が決まるまで1カ月ほど待機しました。
そして、訪問の前日。
義父は腹痛で救急搬送、そのまま入院となってしまいました。
さらに、義父自身で症状をうまく伝えられなかったこともあり処置が遅れ、人工肛門の手術を受けることになってしまったのです。
術後は体調の回復を見て、介護施設に移ってもらおうと考えていた私と夫。
病院側には、しっかりそのことを伝えました。
しかし、病院側は回復後も数カ月入院したままで過ごさせ、その後連携している介護施設に移るという方針なのだそうです。
そして連携している介護施設の利用料も、そう安くはないことも知りました。
既に臨月を迎えていた私は、自力で他の施設を探し始めました。
ところが、公的な施設はどこも満員。
やむなくネットで私立の介護施設にも問い合わせを始めました。
そしてようやく見学のできる施設を見つけました。
施設見学に対応してくれた女性は凛としていて、とても親切で、私の事情も察しつつ、「早く入居できるといいですね」と声をかけてくれました。
しかし、「うちでよろしいのですか?」というような確認をしてくるのです。
おむつ替えは決まった時間に1日4回、部屋が狭いこと、部屋から出るようなレクレーションはないことを伝え「それでもよろしいですか?」と。
知識のない私は、どの施設もそういうものかと思いながら聞いていましたが、女性の一言でさすがにその真意に気づくことになります。
あらかじめ決まった世話しかせず、寝たきりになるということなんです。
結局、病院提携の介護施設への入居を早める交渉をすることに決めました。
しかし、施設は空いているにも関わらず、手続きは難航。
そんなこんなで、計画出産の当日を迎えてしまいました。
結局、義父が施設に入れたのは、私の出産後。
あてにしていた夫の育児休暇も、施設入居のもろもろの手続きで消えてしまいました。
夫はストレスで機嫌が悪くなり、私につらく当たるようになりました。
そして私は、想像していたよりはるかに育児に苦戦することになりました。
育児のスタートでつまづいてしまった私が、ようやく自分のペースを保てるようになったのは、そこから8年経ってから。
ごく最近のことです。
子供は若いうちに産み育てたほうがいいと聞きますが、それは体力面だけでなく、介護時期と重なる可能性があるためということを身をもって学びました。
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