<この体験記を書いた人>
ペンネーム:Baltan
性別:女
年齢:55
プロフィール:バツイチ、子なしの独り者。数々のチャレンジと失敗の人生を回収すべく奮闘中です。
父(82歳)は若い頃から子供には優しい人でしたが、典型的な亭主関白、内弁慶でした。
口にするのは辛らつなことばかりで、その被害を一身に受けていたのが母(80歳)でした。
私達が悪いことをしたら、母のしつけが悪いと母にあたり、母からはよく「お父さんに叱られるからそんなことするな」という注意を受けていたものです。
子供に対してもほめるのが下手でした。
100点をとっても「問題が簡単だったんだろう」。
入社試験に受かった時も「お前がいれば茶の一つでも入れてくれるだろう、くらいにしか思われてないから調子に乗るなよ」。
...ほめられた記憶が出てこないほどです。
自分の親兄弟を何より大事にしていて、母方の親兄弟に対しては文句ばかり。
とにかく父は嫌味でネガティブな人というイメージしかありません。
特に母は大変だったと思います。
固めのご飯が好きな父は、ご飯が柔らかかっただけで嫌味たらたら。
晩御飯の用意をしても食事に手を付けない父に、どうして食べないのかと聞くと、「箸が出てない」と一言。
買い物に行くという母に、何と何を買うんだ? 本当にそれは要るのか? と聞くので、母は一度たりとも緊張しないで買い物をした覚えがなかった、といいます。
32年前、母方の祖母が脳梗塞で倒れてから亡くなるまで入院生活が15年間続きましたが、その見舞いに行くにも「この忙しい時に...」と文句を言っていました。
今で言えばモラハラの域に入りそうな父の態度に耐え忍ぶ母が可哀そうで、別れてしまえばいいのに、と子供心に思ったこともありました。
そんな結婚生活が40年ほど続いたツケで、当時64歳だった母はうつ病を発症しました。
診断された当初、ストレスを初めて発散させ始めた母は別人かと思うほど狂暴になり、その怒りをすべて父にぶつけました。
泣き叫びながら父を叩き、引っ掻き、あの時こんなことを言われた、こんなことをされた、とそれこそ40年分の怒りを数週間にわたってぶつけまくったそうです。
海外に住んでいたたため、母から電話で事情を聞いていた私は、父に反撃されるだけじゃないかと気が気ではありませんでした。
しかし父は毎日のように母の罵詈雑言を受け止めていたそうです。
父は母がおかしくなってしまうことを恐れたのか...?
本当のところは分かりません。
しかし父は母が荒れ狂っている間、朝晩、母に言われる通り洗濯ものを干したり取り込んだりし、掃除機をかけ、買い物に行く母を車で送り、食事の後片付けもするようになりました。
そして、何より変わったのは、人を馬鹿にした嫌味や辛辣な皮肉を口にすることがなくなったことでした。
いえ、それでもたまに皮肉や嫌味を言ってしまうようですが、母に「またそういうことを言う!」と指摘されると口をつぐむそうです。
久しぶりに実家に帰った時も、父の変貌ぶりに目を見張りました。
人ってそう簡単に変われるもんじゃないですよね。しかも70歳を越えてから...。
こんな風にできるんなら、もっと前からこうあってくれれば、母も苦労せずに済んだのに、と怒りを感じたのも事実です。
でも、70歳を超えてようやく仲睦まじくしている姿を見ると、人生最後まで分からないもんだなとつくづく思いました。
本当に必要がある時、人って変われるんですね。
その決断ができた父を今は尊敬しています。
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