正直、政治を学ぶことにメリットを感じない...。とはいえやはり学んだ方がいい?/幸せに生きるための政治

それなのに多くの人たちは自分の生活と政治は関係ないという「誤った」認識を持っているから、政治に関心を持たず、政治も一般的な国民に関心を持たず、政治はちょっかいをかけて、ついでに選挙に協力してくれたり、献金してくれる企業・団体とか宗教団体の方ばかりを向いているんです。自分たちにとって「合理的」な振る舞いをしていると捉えれば理解可能ですね。

本音で言えば、政治家は与党も野党も自分たちのファン(支持者)だけが政治に関心を持ち、投票に行ってくれればよいわけです。それがいちばんラク。

政治は、人間の本性が丸出しになるんです。政治家が守りたいのは「国民の生活」ではなく、「自分のバッジ」ではないのか。そして、ぼくやあなたがもし政治家だとすれば、やはり同じように自分の将来が気になるのではないでしょうか。でも、建前と理屈がなければ、人は共感も支持もせず、投票もしてくれないでしょう。だからこそ、本音と建前の案配が重要になってきます。ぼくはそういう〝人間のダークサイド〞が凝縮された政治の世界を、いつもとてもおもしろく見ています。「あ、政治家がまた保身のためにウソをついてる」んじゃないか、というわけです。

失言で有名な森喜朗氏が首相だったとき、無党派層について「関心がないといって、(投票
に行かずに)寝てしまってくれればいいが」と口にしました。これはウソではなくむしろ丸出しの本音です。2010年代以降、低投票率で、与党が勝ちきる選挙が常態化しました。低投票率を前提とするなら、世論の動向はあまり選挙結果に関係せず、支持層の存在が重要になってきます。支持層を固めきれば、なまじ無党派層が投票所に行くと結果がブレるかもしれません。だからこそ「寝ていてほしい」と思うのは、愚かであるどころか与党政治家にとってはとても「合理的」なんですね。ぼくたちとは異なるまさに「他者の合理性」ですが、社会学は「他者の合理性」理解を志向する学問なのです。

われわれは国会議員をバカだなんだとけなしますが、国会議員もわれわれをバカだと思って見下しています。でも本気なのは彼らの方なんです、なぜならなりわいであり、商売だから。

こう考えるとわかりやすくないでしょうか。政治の行く末や投票に対して、一般的な国民と職業政治家の間には雲泥の差といっても過言ではないほどの非対称性があります。

政治に無関心だと、そんな政治家や政党のやりたい放題になってしまう。それでよいのでしょうか。

ただ、よく政治学の先生が、「政治について勉強すべき」みたいなことを言うんですが、ぼくは正論だと思いつつ、そんなのムリだと思っています。

「政治は自分に関係がない」という認識を、「政治は自分に関係がある」に変更する。その1点すら難しい。日本の現状でいえばまずはそれだけで十分すぎるほどです。

経済を支えているのも政治なのです。マーケットのルールや税率は政治が決めているんですから。

 
※本記事は西田 亮介 (著), 池上 彰(責任編集)の書籍『幸せに生きるための政治』(KADOKAWA)から一部抜粋・編集しました。

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