月刊誌『毎日が発見』で好評連載中の、医師で作家の鎌田實さん「もっともっとおもしろく生きようよ」。今回のテーマは「物ごとを好転させる発想「にもかかわらず」」です。
この記事は月刊誌『毎日が発見』2023年11月号に掲載の情報です。
ぼくのマジックワード
文化放送の「日曜はがんばらない」(日曜朝6時20分~)は、元NHKアナウンサーの村上信夫さんとともに楽しく語り合う番組。
11年以上続く長寿番組になりました。
最近、リスナーからお手紙をいただきました。
マンガ家の赤塚不二夫には「これでいいのだ」、イラストレーターのみうらじゅんには「そこがいいんじゃない!」というマジックワードがありますが、鎌田先生の場合は「にもかかわらず」ですね、という内容でした。
そう、ぼくは「にもかかわらず」という言葉を大切にしてきました。
この言葉に気づかせてくれたのは、ぼくを育ててくれた父。
青森の貧しい農家に生まれた父は小学校を出て上京し、苦労の多い人生を歩んできました。
妻は、重い心臓病。
にもかかわらず、妻と二人で、1歳8か月のぼくを養子に迎え、大事に育ててくれたのです。
困難が多いなかで我慢強く、懸命に生きてきた父の背中から、自然と「にもかかわらず」という哲学を学びました。
人生につまずいたとき、困難に直面したとき、そこから立ち上がる力をくれる、まさにマジックワードです。
人手不足の解決策
人手不足を解決するときに、「にもかかわらず」の発想が役立った例があります。
愛知県トラック協会に講演に呼ばれ、その取り組みを知りました。
全国でトラックドライバーが不足していますが、愛知県でもその問題が深刻でした。
そこで、着目したのが高齢ドライバーの活用です。
高齢にもかかわらず、雇用し続けるという選択です。
高齢ドライバーというと、安全性はどうなのかと疑問視する人がいるかもしれません。
しかし、高齢ドライバーは無理してスピードを出しすぎないために、むしろ事故が少ないというのです。
トラック協会では、立派な研修センターをつくり、高齢ドライバーの適性を判定し、本人が希望する場合は80歳近くまで働けるようにしました。
また、研修センターでは、茶道や瞑想、指圧などのカルチャー講座も開きました。
運転業務中のイライラをコントロールし、事故を減らすための取り組みだといいます。
トラック野郎が、茶道や瞑想をしている姿は、カッコいいと思いませんか。
高齢であることは一見、リスクととらえられがちです。
しかし、適性を見極め、サポートすることで、優秀なドライバーが高齢になっても働き続けることができます。
高齢になったにもかかわらず、働く場があるということは、高齢社会の日本にとって心強い実践例だと思います。
高齢者の居場所づくり
アメリカのブリガムヤング大学では長寿に影響を与えるものについての研究を行っています。
その研究によれば、身体にかかわる要素以上に圧倒的に大事なものは、「社会とのつながり」だというのです。
働く場があるのでもいい。
ボランティアの仲間がいるのでもいい。
飲み仲間だっていいのです。
家庭以外に思いっきり遊んだり働いたりできる多様な居場所があることが大事です。
大阪府豊中市の住宅街に「豊中あぐり」という市民農園があります。
豊中市社会福祉協議会が行っている事業で、定年後のシニア男性たち約150人が野菜づくりに挑戦しています。
つくった野菜は朝市に出して市民と交流したり、子ども食堂へ寄付したりしています。
この事業のねらいは、定年後に地域に居場所をつくり、高齢男性の閉じこもりを防ごうというもの。
野菜づくりをやってみたい、土に触れたいという男性にとって魅力的な取り組みです。
少なくとも家の中で粗大ゴミ扱いされるよりはずっといいのです。
活動を続けるうちに、オッサンたちならではの大ホームランが飛び出しました。
酒蔵と協力して、自分たちがつくったさつまいもで焼酎をつくり始めたのです。
オジイサン、にもかかわらず遊び心と遊び仲間がいることで、市民農園のすてきな活動が続いています。
笑い声のある臨終
人間は必ず死にます。
別れは悲しく、さびしいものですが、それだけではありません。
96歳のある女性は、明るくて元気で大の世話好き。
子どもや孫たちに慕われ、近所の人からも好かれていました。
だから、末期がんの末、迎えた臨終にもたくさんの人が集まりました。
いよいよ血圧が下がってきたとき、「いつお迎えが来てもいい」と、おばあちゃんはぼくの手を握って言いました。
しばらくして、もう意識がなくなったと思った、総勢30名ほどがおばあちゃんとの思い出を枕もとでワイワイ語り合いました。
すると、「うるさいな」とおばあちゃんが周囲を一喝。
こんな茶目っ気、最高です。
ぼくもたくさんの人を看取ってきましたが、亡くなる直前にまわりの人を叱った人は初めてでした。
ああ、それは申し訳なかったと、みんな大笑い。
おばあちゃんに意識があることがわかって、みんな口々にお世話になったお礼を言いました。
それからしばらく静寂があり、下顎(かがく)呼吸が始まって、徐々に呼吸が弱まりました。
そのとき、おばあちゃんが最後に言葉を述べました。
「みんな、ありがとうね」
子どもや孫、ひ孫たちがみんな笑って泣きました。
人生のお別れにもかかわらず、笑いが出ることがあるのです。
お手本にしたい、見事な最期でした。
幼いカマタを膝に抱えた、父・岩次郎(写真中央)。その向かって左に、母・ふみ。
八ヶ岳山麓に丸太小屋を建て「岩次郎小屋」と名づけた。その表札を持つ岩次郎。
文・写真/鎌田 實
《カマタのこのごろ》
諏訪中央病院の若い医師が、「地域医療を語ろう」というテーマで、5回にわたり勉強会を開きました。最終回は、病院の庭の木の下に集まり、ズーム(インターネットを使った会議システムのこと)をつなぎ、退職した医師や看護師など懐かしい顔ぶれとともに、これまでとこれからについて語り合いました。諏訪中央病院は、地方の小さな病院にもかかわらず、マグネットのように全国から人材が集まってきます。これからも、あたたかい病院づくりは続きます。