「末期がんの母が人生最後の二週間を過ごしたのは、長崎の高台にある聖フランシスコ病院のホスピス病棟だ。悲しい別れの舞台だと思っていたホスピスで、母と私は思いがけず素晴らしい時間を過ごすことができた。特にシスターのヒロ子さんの存在はとても大きい。笑顔とともに発せられる一風変わった言葉の数々に、私たちはどれほど救われたことだろう...」
末期がんの母とその娘が、シスター・ヒロ子との交流で知りえた、誰にでもできる慈愛に満ちた「看取りのレッスン」。
※この記事は『シスター・ヒロ子の看取りのレッスン』(小出美樹/KADOKAWA)からの抜粋です。
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Lesson3
穏やかに、静かに、ていねいに
ホスピスでは、治療を目的としないので、日に幾度も部屋を訪れてくれる看護師さんたちは、母の身体を拭いてくれたり、血圧を測ったり、痛み止めの点滴をしてくれながら世間話をしたり、母や私の話を聞いてくれたりする。二人いる女医さんも、医学を修めたという大きなバックボーンを持ちながらも控えめで、穏やかな口調で母の痛みに寄り添ってくれている。そしてシスターは、「ちゃんとパソコン仕事もしているのよ」という事務仕事を手早く終えたあと、一般病棟やホスピス病棟を回り、入院患者の話を聞いたり、付き添いの家族の相談に乗ったり、医者や看護師とは違う立場で、患者や家族と密に接しているようだった。
聖フランシスコ病院の一階の玄関の脇の小さな聖堂や、その周辺の受付やロビーには、ヒロ子さんではないシスターの姿も見かけるが、四階のホスピス病棟を行き来しているのは、主にヒロ子さんだけだった。シスターのヒロ子さんはとても小さいからか、静かにするりと滑るように歩いているからか、いつも、うわあ、いつの間に!という感じで気がつくとそばにいたりする。
そして、シスターばかりでなく、ここではすべてのスタッフが、昔から知っている親戚のように近しくて優しい。母の三度の食事を運んでくれる配膳の人も、泊まり込んでいる家族が自分たちの食事を用意するためのキッチンを掃除してくれる人も、日替わりで談話室にやって来て話し相手をしてくれるボランティアの人々も、みんな穏やかで、死を迎える人とその家族のために静かにていねいに動いていて、ホスピス病棟をゆったりとした空気で包んでいる。家族や身寄りのない患者さんにとっては、きっとスタッフが家族のような存在で、ずいぶん心強いのだろうなあと思えた。
それでも夜になると少し不安が戻ってきたりする。私は、眠っている母のベッドの脇のソファベッドで、息をひそめて目を閉じて、廊下を静かに歩き回る夜勤の看護師さんたちや、私と同じように泊まり込んでいる家族が、同じように不安を抱えたまま眠ろうとしている気配を感じながら、夜が明けるのを待っている。時々、誰かが亡くなった気配を感じることもある。
朝が来て、夜勤の看護師さんたちが、「また明後日(あさって)、来ますけんね」と母の部屋を出て行き、入れ替わりに、「おはようございまーす」と日勤の看護師さんたちがやって来る。その交替作業を見ていると、また一日が何事もなく始まる安堵感が押し寄せてくる。
「私たちはね、手にすごく気を配るのよ」、と看護師長が教えてくれた。ドアを開けるとき閉めるとき、身体に触れるとき、食事を配るとき、血圧を測るとき、手の動きに気を配るということは、ひとつひとつの動作に心を込めるということなのだ。そんな動作の積み重ねが、ホスピス病棟を包んでいる優しさの源なのだろうかと思った。
穏やかな陽気の十一月十三日、私がドレスを買いに行った日の夕方、母は下血し、意識がなくなった。父と妹も駆けつけ、母を見守る。三人で、なすすべもなく母のベッドを取り囲み立ちつくす。ついにこのときが来てしまったのかと息をひそめ、母の弱い呼吸に耳をそばだてる。気がつくといつの間にか部屋に入って来ていたシスターが、私を部屋の隅に呼んで言う。
「この感じでは、息を引き取るのは日付が変わった頃になるからね、あなたはちょっと休んでおきなさい。亡くなったあと、また忙しくなるのよ」私はシスターに言われるまま、看護師さんに伴われて母の部屋を出る。病棟の一番奥にある畳の部屋に看護師さんが布団を敷いてくれ、「呼吸が変わったら起こしに来るけんね」と言って、部屋の電気をそっと消した。いつの間にか夜になっていた。看護師さんは、布団に横になった私を見届けてから、静かに部屋を出て行った。
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撮影/白川青史