性別:女性
年齢:61
プロフィール:母は49歳の時、末期の胃がんで余命半年と宣告されました。担当医は「1ヶ月持つかどうか」と思っていたそうですが、1年6ヶ月寿命を延ばした母は、亡くなる直前まで私に優しい言葉をかけてくれました。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
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私の23歳の誕生日、父の度重なる浮気に耐えかね、母が家を出ることになり、母と2人の生活が始まりました。
母はその2年ほど前から胃の痛みを訴え、あちこちの病院で検査をしましたが原因がわかりませんでした。
娘と2人だけの気楽さからか、母は元気になりました。しかし、年の瀬が近づいた頃、再び激しい痛みに襲われ、12月23日に入院、26日に手術をしました。
担当医は「末期の胃がんです。胃の後ろにあったので、大きくなるまでわからなかったのです。取り除くことは不可能で、もう手の施しようがありません」と言いました。私は我を忘れて「あとどのくらい生きられるのですか?」と叫ぶように聞いていました。「半年位」との答えでした。
私は母の前では元気を装いましたが、心は大きく乱れていました。1月の中旬「少し家に帰りますか?」と担当医からいわれ、退院。それから1年間は通院で治療しました。
ずっと母のそばにいたかったけれど、蓄えはわずかな貯金のみ。私が働かないと生活していけません。ある時、担当医に「今生きていることが奇跡なんですよ。お母さんは、1人でにこにこして通院してきます。あんな重病人を1人にして、あなたは何を考えているんだ」と言われました。強い言葉に、部屋を出たとき思わず涙ぐんだのをよく覚えています。
余命といわれていた半年を過ぎた頃、母が一時的に元気になり、友人宅に泊まりに行ったり、私の会社の保養所のある箱根に一緒に旅行したりすることができた時期がありました。
その頃、ふと母は「結婚してから、幸せだったことがあるかしら?」と言いました。父は事業を起こし、2度の倒産。生活苦、父の度重なる浮気、嫁姑問題。確かに苦労の連続だったので、私は返す言葉がありません。
そんな流れで母の友人の大きな家を見たとき、「パパと結婚しなければよかったね。おじいちゃんが勧めてくれた人と結婚していたら、ママもこんなお家に住んで幸せに暮らしていたかもしれない」と言ってしまいました。すると母は、「そんなふうには思わないわ。パパと結婚しなかったら、あなたと会えなかったでしょ」というのです。「えっ、私?私なんか」胸がいっぱいになって、私はそれしか言えませんでした。母のこの言葉が、今でも心に響いています。
「去年のお正月は一人で寂しい思いをさせたから」と、母は元気一杯に振舞い新年を過ごしてくれました。そして年が明けて1週間後、再入院。それからは悪くなる一方でした。がんの末期は痛みがひどいと聞いていたので心配していましたが、痛みはなかったようなのが幸いでした。
この頃の母は、「元気になって自分を励ましてくれた人に恩返しをしたい」と言うようになっていました。気持ちは前向きでしたが、反比例するようにどんどん衰弱していきました。
母の隣に2日間寝泊まりして、お風呂に入りに帰宅しました。病院に戻った私に「せっかく家に帰ったのだから、ゆっくりしてくればよかったのに」と母。「もうすぐゴールデンウィークだから、ずっとそばにいられるよ」と私。
「足がだるいから少しさすってくれる?」と母が言うので、足をさすりました。「足はもういいわ。胸がちょっと苦しいから胸をさすって」と言う母の胸に手を置いた時、「あっ」と言ったのが母の最期の言葉でした。
そのようにして、母は50歳で他界しました。
今、私は、まじめで優しい主人と26歳と28歳の子供に囲まれ、幸せに暮らしています。母のように優しいおかあさんにはなれていないけれど、明るく前を向いて生きていこうと思っています。
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