死の影におびえながら生きるとは何か考え抜いた「ガン」という病気/なないお

pixta_16139630_S.jpg

平成28年4月、私はステージ2Bの乳がんであると告げられました。

前回の記事:乳がんで乳房全摘出後に始まった放射線治療とホルモン療法/なないお

それから約1年間、抗がん剤治療、手術、放射線治療を行い、現在は10年間に及ぶ再発予防のためのホルモン療法中です。

先日手術から1年後の検査を受けてきました。今の所再発はなし。ほっとしました。

乳ガンはガンの中でも予後が良い(5年後10年後の生存率は高い)そうです。

しかし再発の可能性は年月を追うごとに減りはしますが、何年経ってもリスクは続く病気。遠隔転移や再発をすれば手術もしないそうなので(しても予後は変わらない)ガンと共生していかねばならないそうです。今でも再発の恐怖は続いています。

私はまだ治療後一年でサバイバーと呼べるかどうかはわかりませんが、現在は一旦治ったという形になっています。

私は初発ということで治るかもしれない、治る可能性は高い状況でした。

それでもガンという病気には「死」の陰がつきまといます。

とにかく生きたい。

子供達はまだ小さい、少しでも大きくなるまで、子供達が自分で生きていけるようになるまで側にいたい。まだ死にたくない、死ぬのは怖い。

ガンの宣告をされてから一月ちょっと、そんな恐怖と不安に飲み込まれ、子供に悟られないよう一人で毎日泣いて過ごしました。精神的にとても不安定で辛い時期でした。

看護師さんに相談していたときに「ガンという病気は考えようによっては、死を迎えるまで時間を与えられたのだから、色々整理できる面もあるよ。」と言われました。

確かにそうかもしれません。残される家族の先を考えて準備が出来るのですから。

でも正直言って、死ぬこと自体よりも死の恐怖に怯える長い時間の方が本人にとっては辛いのではないかと思うことがあります。そして家族も大切な人を失う不安と戦う日々になるはずです。

 

私は乳がんの他にもう一つ大きな病気をしたことがあります。心臓病です。

乳がんがわかる2年前、何となく苦しい、胸のあたりが痛い気がする、なんかヤバイのではないか・・もしかして心臓?という程度でした。テレビで見るようなうっ!!と倒れてしまうようなこともなく普通に動くことは出来ました。

ところが、病院に行ったら狭心症で大きな病院へと言われ、心臓病センターに着いたら心筋梗塞の一歩手前で今すぐ手術となりました。私の場合は、突発性で血管壁が剥がれて冠動脈の端っこが詰まりかけていたのです。カテーテルで詰まりを広げてもらい助かったのですが、その後1週間ほどICUに入りたくさんの線に繋がれて心拍などのモニターを眺める日々でした。

この時も、病院に行くのがもう少し遅ければ、下手をすれば心筋梗塞を起こし死んでいたかもしれません。でも、死ぬかもしれないという恐怖に怯えたのは、発作を起こしてもしかして?と思った時と手術前くらいのことでした。ほんの数日の話です。

その後は早く元気になるんだしか考えていなかったと思います。心臓の方も再発予防のため今でも薬を飲んでいます。

病気自体がどちらが重いか、どちらが辛いか、比べられるものではありません。

でも自分が両方を経験して、死ぬかもしれなかったことは変わりないのに、死への恐怖に長く怯えないといけなかったガンという病気の方が、私にとってはかなり精神的な負担が大きいものでした。

誰だって明日の命はわからない、事故にあうことだってある。そう考えたら今日生きていることはガンの私もそうでない人も同じではないか。

そう開き直ってから随分と気持ちは楽になったのですが、半年間に及ぶ抗がん剤治療で体がどんどん弱ってきます。毎日インフルエンザで寝込んでいる時のような体の辛さが続くと、どうしても気持ちが悲観的な方に引っ張られてしまうのです。

せっかく蓋をした死への恐怖が顔を覗かせる。

私には強いよりどころが必要でした。

その一つが神に祈ることでした。私は何かの宗教に属した訳でもありませんが、自分の内なるものと神との対話を毎日続けることで安定した気持ちを取り戻すことができました。

子供を不安にさせるわけにはいかないので、Twitterで弱音を吐き、たくさんの方々に応援をしていただきながら生きる元気をもらってきました。

ステージや人によっては治療したにも関わらず、転移したり進行する場合もあります。再発や進行して余命を告げられた方と私とは気持ちの面でも大きく違うものでしょう。一旦は治った状態で生死を語るのはおこがましい事かもしれません。

私が持っているのは私の生死感であり、他者の命の評価ではなく、現時点での私の命の評価です。そしてこれからも変わるかもしれません。

そういう意味では私はまだ死というものと正面から向き合ってはいないのだと思います。そして向き合わなければならない時がくるかもしれない。

この一年、私なりに怯えながら「生きる」ということを考えてきました。

生きるという壮大なテーマに私が結論を出せるわけではありませんが、私なりにたどり着いたのは、ありきたりですが「今を大切にすること」でした。

今を大切にする事とは具体的に何なのか。

そのために自分を大切にすること。

自分を大切にするとは何なのか。

自分の意思を尊重すること。

やらなければならない事よりも自分がどうしたいかを中心に考えること。

他者の関わることは他者も尊重しつつ自分の意思を見失わないこと。

他者と自分の線引きをはっきりさせるということは、人のことなど知らんがなということではなく、自分の領域を守り、他者の領域を尊重するということ。

他者の人生に影響を受けつつもリンクしすぎず、自分の人生を生きること。

自分は完璧な人間でもなければ完璧になることなどできない。

欠点も含めて自分を受け入れ、その上でどうすればいいのか考える。

どうしても足らないところは人に助けを求めつつ、自分が足りているところを差し出せばいいじゃない。

自分を許し解放することで、自分が楽になる。

そうして私は今を充実して生きることができるのではないかと思いました。

前にも増して、自分という存在を愛おしく思えるようになりました。

それは自分の周りの人々も大切に思えることに繋がっています。

死を意識することで、生が際立つことがあるように思います。

私は私の今日を生きます。

あなたはあなたの今日を素敵に過ごせますように。

10回の連載にお付き合いいただきありがとうございました。

関連記事:がん告知から生きぬく決心をするまでに、私を支えてくれたもの/なないお

医療監修:すわやまクリニック 田島厳吾 院長

なないお

アラフィフの乳がんサバイバーです。発達障害児をふたり育てるシングルマザー。アスペルガー症候群・ADHDの娘は12歳、自閉症スペクトラムの息子は10歳。心臓病の私の父親(76歳)も同居。パート勤務、ブログなど文章を書いて暮らしています。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP