毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今週は「『老い』のリアル」について。あなたはどのように観ましたか?
※本記事にはネタバレが含まれています。
【前回】この「違和感」の正体は...? 「荒れた」今週の朝ドラ。脚本・演出の難しさを痛感
福原遥がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説『舞いあがれ!』の第24週「ばんばの歩み」が放送された。
超高齢社会の日本において、「老い」のリアルは、朝ドラが今、そしてこれから課せられた1つの必須項目になりつつある。
そんな中、今週は再び脚本担当がメインライターの桑原亮子氏に代わり、祥子ばんば(高畑淳子)とめぐみ(永作博美)が主軸の物語が展開された。
何かと週替わりの落差の大きい本作で、最も間違いないのは、この2人がメインとなる週、そして桑原氏がおそらく最も得意とする「衰退」「老い」「喪失」とそこから見えてくる小さな希望の展開だ。
舞(福原)は妊娠中も出産も何のトラブルもなく、子どもが生まれてからも子どもを見ながら家でできる仕事をし、「夜泣き」に夫婦で対応して、あっという間に2年が経過。
こんな風に妊娠も出産も楽なら、少子化はここまで進まなかったろう。
これは日本がどこかの分岐点で選ばなかったほうの希望を持てるパラレルワールドだととらえておきたい。
その一方、リアルに着実に進んでいるのは、「老い」がある日突然、我が事として訪れる世界。
ばんばが脳梗塞で倒れて入院し、退院後も手足のしびれが残り、再発の恐れもあることから、船にはもう乗れなくなり、一人暮らしも無理だと医師に言われる。
めぐみは祥子に東大阪で一緒に暮らそうと提案するが、祥子はそれを拒絶。
仕事も住み慣れた家も土地も手放す辛さは並大抵のものではなく、中にはもう生きる意味がないと考える高齢者だっているだろう。
そんな祥子の思いを置いてけぼりにし、引き取る話を進めるめぐみと舞、貴司(赤楚衛二)、雪乃(くわばたりえ)。
だが、介護疲れのお客さんの話を聞いていた勝(山口智充)だけが簡単に「面倒を見る」と言うめぐみらに、介護の覚悟について指摘する。
「子どもじゃないんだから」と楽観視する貴司に、勝が言った「子どもはだんだん楽になるけど、介護はその逆」は、介護経験のある人全てが頷く言葉だ。
だんだんできることが増えていく子どもは、面倒を見ている側もパワーをもらえるが、できることが減っていく様を支える介護は「現状維持」が最大の目標で、日々零れ落ちていくモノを必死で食い止め、拾いあげつつ、希望を失わないように踏ん張りつつもエネルギーが失われていく。
「面倒を見る」という単純なタスクの遂行よりも、やってもやっても希望が見えない、失い続ける無力感のほうに精神をやられるのが介護だ。
退院してきたばんばを、五島の人々や家族が迎え、船も畑も他の人たちが見てくれていると話す。
この安心感と共にある寂しさ、情けなさのリアル。
しかし、自分のことが自分でできない、できないことが増えていくと嘆く祥子に、舞はかつて自身が五島に来たばかりの頃にばんばに教えてもらった言葉「できることを探せば良か」「ばんばにしかできないことがある」を返す。
そんな中、めぐみはIWAKURAを章(葵揚)に託すことを決意。
そして、社長をやめ、祥子ができないことを自分がそばでやると祥子に伝える。
祥子は「そがんな理由」と遠慮するが、「私にとっては大きい理由」と言い、社長業の引き継ぎが終わり、そのときに五島に戻りたいと思ったら一緒に五島に戻ろうと提案する。
この提案自体嬉しいが、何より祥子が心打たれ、申し出を受け入れるに至ったのは、祥子のためではなく、めぐみ自身の気持ちとして語られた「一緒に母ちゃんと暮らしたか」だろう。
とはいえ、そこで安心、解決に至らないのが介護のリアルだ。
東大阪で一緒に暮らし始めた祥子にとって、娘の家とはいえ、人の家で「ゆっくりしていて」と言われても、することがなく所在なさげになるのは当然のこと。
自分のことを何でも自分でやってきた人なのだから、「お客さん」扱いですき焼きも全部用意してあげるのではなく、材料を洗って切ってテーブルに置き、祥子に作ってもらえば良いのに......と思うが、そこはめぐみも舞も貴司も「介護初心者」だからこそ。
育児も介護も、最初は誰でも初心者で、やっていくうちに自分たちなりのやり方を見つけていくものだ。
祥子はそこからデラシネに案内され、本を見繕ってもらって読んだり、「やることのないしんどさ」を誰より知る笠巻(古舘寛治)からもらったりんごでジャム作りしたり、少しずつ「できること」を見つけ、尊厳を取り戻していく。
高畑淳子の徐々に老いが見える変化も見事だが、東大阪に来てからのぼんやりした様子、そこからゆっくりと少しずつ目に光が戻る様子も素晴らしい。
「老い」を壊れたラジオに重ねた脚本と、演者の力が結実した見事な「老い」のリアルだった。