こんなご時世だから旅行なんて...と思っていても、たまには羽根を伸ばしたくなりますよね。「ちょっとの空き時間があれば、気軽に行ける場所はたくさんあります」というのは、旅行作家の吉田友和さん。今回は、そんな吉田さんの著書『東京発 半日旅』(ワニブックス)から、東京から短時間で行ける半日旅スポットを連載形式でお届け。少しの移動、短い時間で驚きや発見を楽しむ、"新しい旅行様式"のヒントが見つかります。
※2017年発行書籍からの抜粋です。コロナ禍において、現在の内容と異なる場合があります。
「小さな木の中に凝縮された小宇宙」を嗜む
大宮盆栽村
盆栽には以前に一度ハマリかけたことがある。
何事も形から入るタイプだから、解説書を何冊も買い揃え、鉢を陳列するための台―かなり大きなかさばるやつだ―まで買ったりしたものの、そのときは長続きはしなかった。
ほかの趣味、とりわけ旅行との相性が悪かったせいだ。
月に何日も家を空けるような忙しない日々と、じっくり植物を愛でる優雅なライフスタイルを共存させるのは難しい。
そう、見事に枯らしてしまったのである。
大宮盆栽村へ向かったのは、再び盆栽への興味が募ってきたというよりも、純粋に旅先としておもしろそうだったからだ。
正式には「盆栽町」といい、地図にもそのように書かれている。
地名にまで「盆栽」の二文字が冠されているほどの盆栽の名所である。
大宮へは都心から快速列車などで比較的短時間でアクセスできる。
盆栽村があるのは街の郊外で、JRだと宇都宮線に乗り換えて一駅目の土呂駅が最寄りだ。
周囲はいたって普通の住宅街だが、よく見ると交通標識などに「盆栽」の文字が躍っていたりして静かに興奮した。
その名も盆栽レストランなどという店も見かけた。
知る人ぞ知る観光地といった雰囲気だ。
まず最初に目指したのは、「さいたま市大宮盆栽美術館」である。
さいたま市が運営する世界初の公立の盆栽美術館であり、この盆栽村におけるランドマーク的存在になっている。
盆栽そのものの展示に加え、盆栽の歴史や種類、鑑賞の仕方などが丁寧に解説されている。
目が肥えたマニアだけでなく、盆栽のイロハを知りたい入門者にとってもうってつけの施設と言えるだろう。
開館したのが2010年とまだそれほど年月が経っていないせいか、美術館はとても綺麗だ。
盆栽を展示した庭園をぐるりと囲むようにして建物が立つ。
入館すると、最初にその建物内で解説パネルなどを一通り閲覧して、続いて庭へ出るような順路になっている。
館内では常設展だけでなく企画展も随時開催されており、僕が訪れたときには「水石展」が実施されていた。
水石と言われてもピンと来なかったが、「小さな石を山水に見立て、そこに大自然の風景を観る」と説明が書かれていたのを読んでふむふむと頷く。
少しばかりかじった経験があるとはいえ、盆栽に関しては限りなく素人に近いから専門用語なども新鮮で興味深い。
いわく、盆栽とは「小さな木の中に凝縮された小宇宙」であり、鑑賞する際には「盆栽の中に凝縮された大自然の情景をイメージすることが大切」なのだという。
なんだか凝縮されてばかりだが、いわんとしていることは理解できる。
さらには、具体的な鑑賞の作法としては、正面から見るだけでなく、しゃがみ込んで下から仰ぎ見るようにして鑑賞するのがポイントとのこと。
ミニチュア世界の住人を疑似体験する感覚である。
言われたとおりにやってみると、あたかも自分が木の下にいるような気持ちになってくるから不思議だ。
美術館に展示されている盆栽はどれも名品中の名品であるから、なおさら没入感が得られるというのはあるだろう。
鉢から溢れんばかりの勢いでうねうねとした幹を左右に広げる、まるで龍のような大木に圧倒された。
盆栽には直幹や模様木、吹き流し、懸崖など、基本となる「樹形」が定められている。
盆栽家と呼ばれる人たちは、長い年月をかけて自分が想い描く理想の姿へ木を仕上げていくわけだ。
自然の産物ではなく、人の手によって造り込まれた芸術作品であるところが盆栽のおもしろさなのかもしれない。
館内は基本的に写真や動画の撮影がNGで、しかもかなり厳しくチェックしているようだ。
カメラをカバンから取り出しただけで、どこからともなく警備員がやってきて「撮らないように」と咎められたほどである。
別に撮っていないのだけれど......。
それより、なんだか監視されていたかのような迅速な動きで怖くなった。
僕が誤解を招く行動をしていた可能性もあるが、ちょっと過敏なのではないかと思ったのも正直なところではある。
庭園の一部エリアには「今日の1枚」と題して、撮影が可能な盆栽もいくつか用意されている。
記念写真などを撮るならココで、ということらしい。
そもそも、なぜ大宮に盆栽村が作られたのか。
ルーツを辿ると江戸時代にまで遡る。
団子坂(現在の文京区千駄木)周辺に集まっていた植木屋が専業化し生まれた盆栽園がその前身である。
なるほど、最初は都心にあったわけだ。
明治時代になって都市化が進んだことで、盆栽育成に必要な土地が不足するようになり、関東大震災を機に東京から郊外へと移転することが決まる。
大宮の現在の場所が選ばれたのは、交通の便が良く、資源が豊富だったからだ。
最初の盆栽家が移住したのが1925年だというから、なんと百年近い歴史を持つ。
現在の盆栽町は美術館の南側に広がり、この地域内だけで計6つの盆栽園が存在する。
美術館で基礎を学んだ後は、それら個々の盆栽園を見て回るのが大宮盆栽村のオーソドックスな楽しみ方と言えるだろうか。
市が運営する美術館とは違い、各盆栽園は商売目的で営業―つまり、盆栽展示販売している。
といってもいずれも見学は自由であり、何も買わずとも見て回るだけでも十分に楽しめる。
大きなものから小さなものまでさまざまだし、種類もとにかく豊富だ。
見ていると当然物欲も湧いてくるのだが、値札を見ると結構いい金額が書かれているので衝動的に買うには思い切りがいる。
「このぐらい小さいのなら手頃かな......」などと思って手の平サイズの小さな盆栽を手に取ってみると、2万円などと書盆栽園は園ごとに特色があって、伝統的な盆栽にこだわってそうなところもあれば、現代的でお洒落さが感じられるところもある。
僕が訪れた中でとくに印象に残ったのは、「清香園」という盆栽園だ。
ここは盆栽の見せ方のセンスがいいというか、陳列の仕方が素敵だなあと思った。
「やってるんですか?」
見学していると、突然園の人に話しかけられた。
やっているのか―もちろん、盆栽をやっているのか、という意味だろう。
「いえ......」と否定すると、せっかくだから始めてみませんかと提案された。
「どれがおすすめですか?やっぱり松がいいんですかねえ?」
話の流れで色々と聞いてみる。
すると、懇切丁寧に教えてくれたのだった。
「松もいいですけど、変化が少ないから根気が必要ですよ。モミジみたいに秋になると紅葉する品種や、花をつけるものなどは変化が楽しめます」
ほほお、と感心させられる。
言われてみれば、その通りだ。
素人は盆栽イコール松などと考えがちだが、それも短絡的な発想なのかもしれない。
清香園では初心者向けに盆栽教室も実施しているそうで、「参加しませんか?」と誘われた。
このときたまたま先生がいたので紹介してくれたのだが、盆栽園にしては珍しい美しい女性の先生だったから驚いた。
恥ずかしながら知らなかったのだが、五代目の山田香織さんという。
テレビなどメディアにもよく出演しているのだそうだ。
盆栽界隈ではちょっとした有名人らしい。
山田さんが提案しているという「彩花盆栽」もとてもユニークだ。
一つの鉢の中に一つの木という伝統的な盆栽に対して、彩花盆栽では木々に草花を添えて小さな庭をつくるように寄せ植えにする。
既成概念に囚われないモダンさと、盆栽らしからぬ華やかさが素敵だなあと感じ入った。
―もう一度、盆栽を始めようかしら。
影響されやすい性格だから、あれこれ見ているうちにすっかりその気になってしまったのだが、ぎりぎりのところで踏みとどまった。
「最初は鉢が大きいほうがオススメです。小さいと土が少ないので、すぐに乾いてしまって水やりが大変ですから」
そう教えられて、水やりの大変さを思い返したからだ。
過去に一度枯らしてしまったのは苦い経験としてトラウマになっている。
植物は生き物であり、付き合うには相応の覚悟が求められる。
旅人をやめない限りは、同じ失敗を繰り返しそうだしなあ......。
盆栽村を訪れたのは暑い夏の日だった。
炎天下の中、汗を拭いながら見学していたら、どこの盆栽園でも決まってせっせと水やりをしていて涼しそうだなあと目を細めた。
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