こんなご時世だから旅行なんて...と思っていても、たまには羽根を伸ばしたくなりますよね。「ちょっとの空き時間があれば、気軽に行ける場所はたくさんあります」というのは、旅行作家の吉田友和さん。今回は、そんな吉田さんの著書『東京発 半日旅』(ワニブックス)から、東京から短時間で行ける半日旅スポットを連載形式でお届け。少しの移動、短い時間で驚きや発見を楽しむ、"新しい旅行様式"のヒントが見つかります。
※2017年発行書籍からの抜粋です。コロナ禍において、現在の内容と異なる場合があります。
サッと上って、サクッと降りる半日の王道コース「御岳山」
カーテンを開けたら気持ちの良い青空が広がっていた。
台風一過の朝である。
昨晩は夜半まで暴風雨に見舞われていたのだ。
「こんな日は山にでも登って、眺めのいいところでお昼ご飯を食べたいなあ」
フト、そんなアイデアが脳裏をよぎった。
いつもそうなのだが、こういう突発的な衝動に動かされる形で旅が始まる。
次の瞬間には、僕はデイパックに荷物を詰め込み始めていた。
そうして向かったのが、「御岳山」だった。
最初は高尾山も候補に挙がったが、混んでそうなので却下した。
急に思い立ってフラッと行けそうな手軽さがありつつも、高尾山ほどメジャーではないところが決め手となった。
御岳山は東京都内の山である。
といっても、場所は青梅市であり、都心に住む都民にとってはそれほど身近な存在とは言えないだろう。
新宿駅から中央線で西進し、立川駅で青梅線に乗り換える。
最寄りの御嶽駅まで約一時間半と、ちょっとした遠征気分を味わえる。
そういえば、まったく同じ漢字を書いて、「おんたけさん」と呼ぶ山が長野県にもある。
数年前に噴火して大きなニュースになったのも記憶に新しい。
東京の御岳山は「みたけさん」と読む。
こちらは火山ではない。
標高は929メートル。
数字だけ見るとあまり高そうには思えないが、これが案外侮れない。
想像していた以上に勾配がきつい印象を受けた。
麓から山頂まではまずケーブルカーで移動するのだが、角度が急過ぎて外が見えるエレベーターに乗っているようだ。
それを降りて、いざ山歩きを始めると、すぐに急な上り坂が現れたりして早くも息が切れる。
Tシャツ、短パンにスニーカーといういつもの街歩きスタイルでウッカリやってきた我が身を呪った。
本格的な山登りに比べればゆるいものの、それでもれっきとした山なのである。
せめて靴だけでも、もっとちゃんとしたものを履いてくれば良かった。
とはいえ、自然の中を散策するのは実に気持ちがいい。麓よりも気温が確実に下がった。
そよぐ風が心地良く、生い茂る樹木の緑が目の保養になる。
展望台からは抜けのいい景色が眼下にできた。
遥か遠くにビル群が望めるベンチに陣取り、来る途中に新宿駅で購入したお弁当をいそいそと広げた。
山の上で絶景ランチ―このロケーションで食べるご飯が美味しくないわけがなく、大きな満足感に浸った。
高級レストランで味わう豪華な食事よりも、こっちのほうがずっと贅沢な気がする。
そうそう、これがしたかったのよね、と誰にともなく自慢したくなった。
山頂エリアには食堂や土産物屋も充実している。
良くも悪くも観光地化された山、という印象も受けるが、都会っ子としては便利なのは基本的に歓迎である。
食堂に掲げられたビール会社のロゴを目にして一瞬心がグラッと揺れたが、飲んだら歩く気力がなくなりそうなのでグッと我慢する。
訪れたのは8月で、夏の御岳山の風物詩、レンゲショウマの花がちょうど見頃だった。
それを目当てにした団体ツアーの客がちらほらいたが、それでも思ったよりも空いている。
すれ違う登山者はさまざまながら、若い女性がずいぶん多いなあと感じた。
御岳山は山岳信仰の地でもあり、いわゆるパワースポットとしても人気なのだろう。
御岳山観光のハイライトは頂上に位置する「武蔵御嶽神社」だ。
ケーブルカーの駅からは徒歩で30分弱。食後の運動にはほどよい距離と言える。
ぜいぜい息切れしながらも登頂し、パンパンッとお参りを済ませた。
山の上の高いところにあるだけに、そのぶん御利益もあるとよいのだけれど......などと我ながら都合のいいことを考えたのだった。
この武蔵御嶽神社からさらに先へ進むと、ロックガーデンと呼ばれるフィールドに至る。
苔むした岩肌が続く、秘境感あふれる山道を楽しめると聞いて、せっかくなので歩いてみるつもりでいたのだが―。
「ゴロゴロゴロ......」
神社の参道脇に見つけたロックガーデンへの近道へ逸れたところで、頭上に嫌な音が轟いた。
見上げると、先ほどまで青く澄んでいた空が、いつの間にか灰色に染まっている。
慌ててスマホを取り出し、雨雲レーダーを表示させた。
この後の雨雲の推移予想を表示してくれるアプリの機能なのだが、それによると現在地周辺はいまから20分後には大雨となっている。
むむむ、と僕は唸った。
このまま進むか、あきらめて引くべきか。
山の天気は変わりやすい、とはよく言ったものだ。
傘はもちろん、雨合羽もなにも持っていない。
万が一降られた場合、濡れるのは避けられないだろう。
我が身の軽装ぶりが再び恨めしくなった。
参道付近に並ぶ土産物店の軒先で、店の女主人が陳列棚を店内へ片付けていた。
ひょっとして雨を懸念しての行動だったりして。
「降りますかねえ?」
すいません......などの呼びかけを省略し、いきなり質問形式で話しかけてみた。
すると、その女主人はこちらを一瞥して言った。
「降るねえ」
清々しいまでの断定口調。
なんら迷いを感じさせず、ズバッと言い切られてしまった。
「風が冷たくなったから、間違いないね」
と、彼女は駄目押しともいえる一言を続けた。
その台詞が揺らいでいた僕の決断を後押しした。
踵を返し、来た道を戻る。
急いでケーブルカーの駅へ戻ると、まさに発車する直前で、僕は飛び乗ったのだった。
最後に補足すると、御岳山では頂上付近に宿坊が集まっているのも大きな特徴だ。
一泊してゆっくりするのも魅力的だが、日帰りの旅である。
サッと登って、サクッと下りる。
家を出たのは11時で、山の上でランチを取って17時には下山していた。
仮にあのままロックガーデンへ行ったとしても、恐らく17時すぎには下山できていた計算になる。
お手軽ながらも達成感は大きく、これぞまさに半日旅の王道コースと言えそうだ。
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