日本人にとって、最も身近な宗教である仏教ですが「葬祭時のマナーは心もとない...」という人も多いのでは? そこで、仏教関連の著書を数多く執筆する長田幸康さんの著書「これだけは知っておきたい はじめての仏教」から、「お布施の相場」や「墓じまい」また「仏教の歴史」など「これだけは知っておきたい知識」をご紹介します。
【諸行無常】
すべてのものごとは移り変わる
祇園精舎の鐘(かね)の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり─
『平家物語』の冒頭でお馴染みの「諸行無常」は、お釈迦さまが亡くなる直前に語った言葉であり、仏教の説く真理のひとつだ。
「諸行」とは、すべてのものごと。
「無常」とは、いつも移り変わっていること。
人間であれ、物であれ、国家であれ、実は決まった形をもってはいない。
実に移ろいやすく、浮かんでは消える幻のようなものだ。
実際、私たちのほとんどは、百年後には、この世にいない。
どれほど深い愛情と絆で結ばれていても、両親とも、子どもとも、最愛の人とも、いつかは別れなければならない。
信頼していた友が敵に豹変することもある。
大切にしていた宝物も壊れてしまう。
国だっていつまでも安泰ではない。
しかし、私たちは、今の持ち物や人間関係が今後も続くものだと無意識に考えてしまいがちだ。
永遠の愛を誓い、三十五年ローンを組み、五カ年計画を立てたりする。
実際には、期待通りになることもあれば、そうでないこともある。
すなわち、思い通りにならない「苦」なのだ。
もちろん、無常だからこそ、私たちは現状を変え、新しいものを創造することができる。
「生まれつきだから」とあきらめるのではなく、良い方向へと変えることもできる。
良い方向にも、悪い方向にも、ものごとは常に変化する。
「諸行無常」の真理を受け止めることが「苦」から自由になる第一歩だ。
「諸行無常」の教えがまとまった「無常偈(むじょうげ)」とは?
前世でお釈迦さまが修行していたとき、悪鬼が現われて以下の「無常の歌」の前半を詠んだ。
お釈迦さまはその歌に感動し、自らの身体を差し出して後半も詠んでもらった。
聞き終えたお釈迦さまは、この歌を岩に刻むと谷間に身を投じたが、その身体を悪鬼が受け止めた。
悪鬼は実は帝釈天(たいしゃくてん)だったのだ(この前世のお釈迦さまの名前「雪山童子(せっせんどうじ)」から「雪山偈」ともいわれる)。
諸行無常:すべてのものごとは、いつも移り変わっている
是生滅法(ぜしょうめっぽう):あらゆるものは生まれては消えていくのが真の姿である
生滅滅已(しょうめつめつい):生まれては滅びることにとらわれる思いをなくすと
寂滅為楽(じゃくめついらく):苦しみや悩みから離れ、穏やかになれる
▼
▼
「いろは歌」空海作と言われる「いろは歌」は、「無常偈」の内容を詠んだものとされている。
色は匂へど(いろはにほへと)
散りぬるを(ちりぬるを)
我が世誰ぞ(わかよたれそ)
常ならむ(つねならむ)
有為の奥山(うゐのおくやま)
今日越えて(けふこえて)
浅き夢見じ(あさきゆめみし)
酔ひもせず(ゑひもせず)
仏教の歴史から日本の寺社仏閣や法要関連の情報をわかりやすく紹介。特に5章の「仏教儀式」はすぐに役立ちます