仙台市で生まれ、夫と息子、母、猫3匹と「なんにもない」部屋で暮らす人気漫画家のゆるりまいさん。今回お届けするのは、ついに完成した新居での暮らしが始まったころのエピソード。真っ白のキャンバスのようなマイホームを汚されないように汚家の芽を片っ端から摘んでいたゆるりさんでしたが...?
前回のエピソード:「捨て嫌い」な祖母の「心のハードル」が下がる、年に一度のチャンスって...⁉
いよいよ新居が完成!始まった新しい生活
生まれ育った汚家が、東日本大震災で被災し全壊。
一度は住む家を失ったものの......2012年の春、待ち望んだ新居が完成しました。
家を建てている間に私は入籍をしました。
それまでは母、祖母、私の3人で住んでいましたが、結婚を機に11ヶ月ほど近くのマンションで夫と2人暮らしをし、家の完成とともに再び母、祖母、夫、私...の4人で住むことになりました。
この時の私は、今振り返ってみると「とても焦っていたなぁ」の一言。
非常にピリピリしていました。
なぜかって?
新居を再び汚家にするまいと汚家の芽を片っ端から摘んでいたから
です。
最初が肝心! ルール化させるために鬼軍曹になった私
新居はいわばまっさらなキャンバスのよう。
それが楽しみでもあり、怖くもありました。
完成した当時のゆるりさんの新居。この「真っ白なキャンバス感」が今回のバトルの要因に...
だって私以外家族はみんな、片付けが苦手な人ばかり。
汚家のトラウマがある私は、いち早く家の片付けのルールを決めました。
ルールは
- リビングやキッチン、お風呂場などみんなで使う場所は"公共の場所"とし、私物は置かない
- 公共の場"で私物を使う場合は、"持ち込み制"にし、必ず持ち帰る
- みんなで使うものは、一つ一つものの住所を決め、出したら必ず仕舞う
- "公共の場"の美化整備係は私
というもの。
家族との交渉の末、これらをルール化する権利を勝ち取りました。
この時の私は、"リメンバー汚家"の言葉を胸に、自分の正義を掲げ、多少...いやかなり強引に家の中を整えていきました。
少しでもリビングに私物が置きっ放しになっていれば、すぐに家族の元に突き返し小言。
みんなで使うハサミの置き場所が間違っていたら、即見つけて使った人に小言。
特に祖母は、メガネや読みかけの本などをダイニングテーブルに放置することが多く......。
なので私は、見つけるたびにすぐさま「これ!忘れ物なんですけどっ!」と、鼻息荒く祖母の部屋まで届け物をしていました。
まさに、小言小言のオンパレードだったのです。
とうとう家族からクレームが...
そんな鬼軍曹っぷりを発揮していた私ですが、当然家族にとってはストレスでした。
元々衝突しがちだった祖母とは、度々喧嘩になってしまい「なんでわかってくれないの!」とイライラすることも。
またその時の私は「ものを持たない暮らし」を極めたくて仕方がなかった時期。
とにかく家の中を「なんにもない状態」にしたかったのです。
今までものに囲まれていた状態だった祖母は、「殺風景すぎて気持ち悪い!」と非常に嫌がりました。
今考えたら「そりゃそうだよね〜!」と思うのですが、当時の私は「こういうのは最初が肝心だから!」と必死だったので、配慮することができずにいました。
ですから、ある日とうとう母と夫からクレームが入りました。
「もう少し穏やかにやってほしい」と......。
しかし母も夫も、私の気持ちはわかっていてくれていました。
母も再び汚家に住むのは嫌だったようで「家をきれいにしてくれているのは分かっているしありがたい。けど、もう少し自由がほしい」と言われました。
そこでやっと私も自分が少し「行きすぎていた」ことに気付くことができました。
そして生まれた新たなルール
話し合いの末、一つ新たなルールが追加されました。
それは
- 公共の場所は私がリーダーになってやってもいいけど、その代わり各自のスペースにはお互い干渉し合わない
......つまり私は各自の部屋に口は出さない!というものです。
各自の部屋は各自の城だから、そこは持ち主が好き勝手やっていい。
その代わり掃除も各自でやる。
これは今現在も守っているもので、やりすぎてしまいがちの私にはあってよかったルールの一つです。
新居完成後、一悶着あったゆるり家でしたが、これらの決まりが見えてきたおかげで、家の方向性を定めることができました。
そして私たち家族は少しずつ変わり始めていくことになるのです。
《次回に続く》
【次のエピソード】「片付け」を巡ってケンカばかり...そんな祖母と私が和解できた「2つの理由」/ゆるりまい