「今日のごはん、作りたくない...」と思ったことありませんか?料理レシピ本大賞2019「エッセイ賞」受賞で話題の書籍『料理が苦痛だ』(自由国民社)から、著者・本多理恵子さんが気づいた「苦痛の正体」を連載形式でお届けします。今夜のごはんを作る前に、まずは料理の「呪縛」を探ってみませんか?
「毎日違うものを食べる」という呪縛
ここは日本で私は日本人だ。そして家族も日本人なので諸外国と比較するのはお門違いかと思うが、日本ってご飯に手間をかけすぎてない?と思う。朝から並ぶ様々なおかずに、色彩ゆたかなお弁当、夕ご飯は豪華なメインと副菜の数々。確かにどれもきれいで美味しそうだ。
しかし、このように毎日違うちゃんとしたご飯を用意しなければいけないと思ってはいないだろうか?
たまに外国に行くと我に返る時がある。朝はコーヒーと甘いパン。昼はリンゴとスナック菓子、夜は冷凍ピザをチンして食べる。これでよくあのガタイの良い体が出来上がったもんだ......と驚く。
もちろんそのようなご飯を毎日繰り返しているわけではないだろうが、明らかに日本のご飯より選択肢がなく、選択肢がないことに疑問も不満も感じていない様子だ。
日本は豊かだ。あらゆる食材を使い様々な料理に作り上げ、保存し、季節を大切に丁寧に食卓を彩る。これは世界に誇る素晴らしい文化だと思う。
お弁当も家のご飯も、昨日は魚だから今日は肉。毎日同じようなおかずじゃ可哀そう。今年の春はタケノコご飯をまだ作っていないし、秋は栗ご飯で季節を感じたい。梅雨には梅仕事で、冬は味噌仕込み......。つくづく良く働くなぁと思う。
もちろんそれは、イベントとしては楽しいことであり、季節を豊かに感じる豊かな行事とも言える。
しかし毎日、毎回、昨日とは違う料理を複数用意する。ちゃんと季節を盛り込みきれいに作り上げる。こうなると私たちはレストランの「シェフ」のように働かねばならない。
この「毎日」「毎回」違うおかずを作るという呪縛。さらに旬や季節を盛り込もうという配慮。そうするのが当たり前と思っているあなたに問いたい。
果たしてあなたの家族は、あなたと同じように思っているだろうか?
よく「ばっか食べ」とか「食のマイブーム」とか言われるように、一つのものをずっと食べたいという欲求も、毎日違うものを食べたいと同じくらいあるのではないかと思っている。
ちなみに私は同じものを食べ続けるのに特別抵抗はない。というか、好きなものはいつでも食べたいと思う。昔、某フライドチキンの店の「ビスケット」にドはまりした事がある。
OL時代の会社の寮のはす向かいに某店があった。そのころの私は、寮の共同キッチンで調理することもなく残業続きの忙しさを良いことに、100%外食生活を送っていた。
ある時その店に「ビスケット新発売」とポスターが貼り出された。コナモノ・甘いもの大好きな私はさっそく食べてみた。そしてその美味しさに衝撃をうけた。そしてそれから丸1か月通い食べ続けた。
全く飽きることもなく、食べ続けることに迷いもなく、私はとても幸せだった。栄養バランスや体重管理を考えたらおススメはできないだろう。けれど、そもそも栄養バランスは1食で決まるものでもないし。少しばかり「カラダに悪そうなもの」を食べても、瞬時に崩れ去るものでもない。
何を食べたか、どれくらい食べたか......はせいぜい3日間くらいで辻褄を合わせればいい。同じおかずを1か月食べ続けるのはやりすぎだとしても、3日くらいは全然許容範囲ではないだろうか?
「毎日のご飯」というルーティンワークは、それほど変化をつけなくてもいい。
「今日も明日も同じご飯ですが、何か?」
家族の食事を用意する全ての人が共感!「料理が苦痛だ」記事リストはこちら!
著者自身の背景から始まり、3ステップで実現できる苦痛を減らす方法や、「蒸す」「焼く」「煮る」だけで完成する11の苦痛軽減レシピが、5章にわたってまとめられています