「体の不調」や「老後の貯蓄」などの心配事は、誰もが抱えているはず。考えすぎて心の重荷を増やす、嫌なサイクルに陥ってしまっている人もいるかもしれません。そこで取り入れたいのが「禅の習慣」。今回は、google本社で禅の講義を行う話題の禅僧による、「心配を取り除くための"ちょっとした思考のクセや生活の習慣を変える方法"」について、連載形式でお届けします。
※この記事は『心配事がスッと消える禅の習慣』(松原正樹/アスコム)からの抜粋です。
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■禅の習慣
心を全開にして食事をしてみよう。五感を研ぎ澄ませた食事が、生の喜びを教えてくれる
生きている以上、思考を止めることはできず、湧き上がる感情を無視することもできません。「私は今、こう思い、こう感じている」。事実をありのままに受け止めればよいとわかってはいても、心をかき乱されるような出来事に遭遇する日もあれば、小さなことでイライラしてしまう日、クヨクヨしてしまう日、いろいろな毎日があります。
大切なことは、どう気持ちを立て直すか。
できることならば、あまり時間を置かずに立て直せるようになりたい。なぜならば、人は穏やかな状態が基本設定であり、人生に穏やかな時間が増えるほど幸福感が増すからです。
私は"心の筋トレ"と呼んでいますが、体と同じように心も鍛えることができます。
そのときに役立つのが、深呼吸であり坐禅です。そしてもう一つ、毎日必ずいただく食事の時間も、心を鍛えるチャンスです。「食ベる瞑想」といいますが、毎食となると面倒な気持ちが芽生えますし、忙しい日々の中では一日一食で十分ですので、その一食だけは食べることにのみ意識を向けます。
テレビ、ラジオ、パソコン、スマホ、タブレット、スピーカー。電子機器はすべてオフにします。
目の前に並べる食事はどんなものでもかまいません。一人の時間が持てるならば外食でもいいのです。わざわざ質素なおかずを用意するよりも、いつも通りの食事です。わざわざ用意していては、食事の準備をすることのほうが面倒になり、食べる瞑想を生活に根づかせることができません。
やはり、筋トレもそうですが、週1回のトレーニングでは、よくて現状維持。週2~3回でようやく効果が見えてきます。負荷の少ない筋トレであれば毎日続けるのが効果的なように、坐禅や食べる瞑想も毎日続けてこそ、大きな気づきとなって自分に返ってきます。
目の前に並んだ食事を眺め、その食材がどういう過程を経て自分のもとに届いたのかを考えましょう。
ひと口を味わって食べましょう。
やることは、これだけです。でも、食事が終わるまで、暇な時間はありません。ほうれん草のおひたし一つとっても、土作りをする人がいて、種を育てる人がいて、毎日のお世話をする人がいる。太陽の光、水、土の栄養、ほうれん草が育つのに必要だったものすべてに感謝し、配送に関わった人、調理してくれた人、思いを巡らせれば終わりがありません。
たくさんの人の想い、努力、働きによって自分は生かされている。自分は一人きりではない。こんなに多くの人の支えによって毎日を生きている。
そんな、忘れてしまいがちだけど当たり前で大切なことを、食事が思い出させてくれます。
食事が人とのつながりを感じさせてくれるから、この一回の食事で、私たちは元気になれます。
ひと口を味わうことによって、甘味、苦味、少しのエグ味なども感じるかもしれません。このひと口の栄養が全身を巡って自分を元気にしてくれる、そんなイメージが広がる日もあることでしょう。いずれにしても、おいしい食事は元気の源で、大切なもの。
一日一食、感謝の時間を持つ。私たちは森羅万象とつながっており、森羅万象によって生かされていることに気づきます。人生が変わるきっかけとしては、十分です。
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