『光秀の定理』『信長の原理』(どちらもKADOKAWA)、『涅槃』(朝日新聞出版)といった作品で、歴史上の人物がどのような行動原理に基づいて生きていたのか、大胆な仮説と解釈をエンターテインメント作品として展開してきた垣根涼介氏。その最新作『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)で物語の主人公となるのは、室町幕府の初代征夷大将軍・足利尊氏だ。
※本記事はダ・ヴィンチWebの転載記事です
『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)
鎌倉時代末期から南北朝時代の動乱期。
鎌倉幕府を滅亡へと導く数々の戦いと権力闘争を生き抜き、さらには倒幕後の後醍醐天皇による建武政権に反旗を翻し、室町幕府の創設を成し遂げた足利尊氏。
この英雄とも逆賊とも評価される稀代の人物を垣根氏は本の帯にもあるように「やる気なし、使命感なし、執着なし」という徹底して"空っぽの人間"として描く。
例えば、尊氏の人物像は次のように描写される。
野心の希薄さ、定見の無さ、精神面の惰弱さたるや、武門の棟梁としては生まれついての廃人そのものである。尊氏に多少ともあったのは、薄ぼんやりとした愛嬌と、それに伴う他者への度量のようなものだけだった。
幼い頃より共に庶子の日陰者として尊氏と過ごしてきた弟の直義、そして足利家の家政を取り仕切る執事の高師直のふたりだけが、早くから尊氏のそうした"極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ)"な気質を見抜く。
だからこそ、ふたりは足利家の未来を確かなものにするために尊氏を支え、時にはその身代わりとなって、政治や外交、戦略といったさまざまな面において行動を起こすのである。
しかし、ふたりの心配をよそに尊氏はやがて諸国の武士たちから圧倒的な支持を受けて「我らは、あのような源氏の御大将を戴けて、まことに幸せ者である」と、神輿として担がれるようになっていく。
そして、ついには新田義貞、楠木正成、後醍醐天皇といった傑物たちを次々と打ち破って権力の頂点へと登り詰めるのである。
本作はそんな尊氏ともっとも近い立場にある直義と師直の視点から「なぜ、この男が室町幕府を樹立し、征夷大将軍になることができたのか」という謎に迫っていく。尊氏のそうした気質は、自分を中心に政務一般を担う直義、筆頭家臣として武家社会を支える師直という室町幕府独特の権力構造に結実するのだが、その崩壊を導く"観応の擾乱"もまた尊氏の気質によって招かれた避けようのない悲劇として描かれる。
直義と師直の対立はどのようにして生じたのか。
そして「もし直義が命を落とすようなことがあれば、わし一人が生き残っても無益である」とまで言っていた尊氏と直義の兄弟は、なぜ後に骨肉の争いとまで評される戦いを繰り広げることになったのか。
垣根氏は直義と師直の複雑な心理と思惑を巧みに織り込みながら、そんな激動期のうねりを描き切る。
そこに描かれる足利尊氏の生き方は、野望と欲望が渦巻く浮世の奔流に立ち向かうのではなく、自覚もなくただ流されるままに漂っていくという、およそ武門の盟主らしくないものだ。
しかし、それはむしろ現代社会に生きる私たちに新たな視点で物事をとらえるきっかけを与えてくれるかもしれない。
本書はそんな尊氏の生き方を追体験できる、読み応え十分の歴史群像劇だ。
文=橋富政彦