2017年は坂本龍馬没後150周年である。坂本龍馬の妻といえば「おりょう」こと楢崎龍が有名だが、実はりょう以前にも婚約者がいたことはさほど知られていない。千葉佐奈というその女性は、幕末を駆け抜けた龍馬が別の女性に支えられていたと知ったとき、どんな風に思ったのだろうか。
『さなとりょう』(太田出版)は漫画原作者として活躍してきた谷 治宇氏の時代小説である。坂本龍馬に深く関わった実在の女性たちをヒロインにして、幕末の陰謀を解き明かしていく濃密なドラマだ。サスペンスあり、女の戦いあり、そして時代劇につきもののチャンバラありと完成度の高いエンターテインメントになっている。その筆致はとても還暦を過ぎた作家とは思えないほどパワフルである。
まずは、『無限の住人』で知られる漫画家、沙村広明によるカバーイラストに目を奪われる。凛々しい顔つきで鞘から刀を抜こうとしている佐奈と、京女らしく飄々とした表情でピストルを構えるりょう。二人の対照的な性格が見事に描き出されている。沙村の漫画には数多くの魅力的な女性キャラクターが登場してきたが、本作の二人も負けず劣らず読者の心を掴んで離さないだろう。
佐奈は北辰一刀流桶町千葉道場主の娘として生まれ、少女時代にはすでに免許皆伝の腕前を持っていた女剣士だ。家を留守にすることが多い父親に代わり、実質上の道場主として家を守っている。
明治6年、道場に坂本龍馬の元妻、りょうが訪ねてくる。かつて龍馬と婚約を交わしていた佐奈は、龍馬が結婚していた事実を受け入れられない。真っ直ぐな性格の佐奈と、京女らしく高飛車なりょうではそりも合わず、たちまち二人は口論になる。それでも佐奈は、東京で行く当てを無くしたりょうを道場に泊まらせる。龍馬の暗殺から6年後のことだった。
やがて、りょうには重大な目的があることが分かってくる。かつて新撰組や御陵衛士だった男たちを訪ね歩くりょうは、龍馬暗殺の首謀者を探っていたのだ。りょうのことは気に入らなくても、龍馬のためならと佐奈も捜査に協力し始める。しかし、証人たちは次々に斬殺されていき、龍馬の死には二人の想像以上に巨大な力が働いていることが分かっていく。果たして、龍馬を愛した女たちは真相に辿り着けるのだろうか?
坂本龍馬暗殺に関しては諸説が飛び交っているが、現在でも確定的な証拠は挙がっていない(京都見廻組という説が有力)。また、京都で近江屋に滞在していた龍馬の居所をどうやって突き止めたのかも判明しておらず、たびたび陰謀論と結び付けられて語られてきた。龍馬暗殺は幕末最大のミステリーであり、本書の展開に歴史ファンは胸が熱くなることだろう。西郷隆盛や勝海舟などの大物の登場も興奮に拍車をかけてくれる。
しかし、それ以上に印象的なのがヒロインたちの生き様だ。龍馬を生涯の男と決め、独身を貫き通す佐奈の姿がいじらしい。一方、佐奈に辛く当たるりょうは意地の悪い女にも見えるが、龍馬が愛した女は自分だけという自負があるからこその態度であり、むしろ清々しい。ヒロインたちの気高さは、打算や保身でがんじがらめになってしまった武士たちの成れの果てと対比される。まるでヒロインたちの輝きが、明治維新の暗部を照らし出すように。
徳川幕府から天皇に権力が移行するに従い、旧時代と新時代の間で数え切れない軋轢が起こった。龍馬暗殺もその一部であり、道半ばにして倒れていった志士たちは数え上げればきりがない。本作に登場する亡霊のような人斬りは、幕末の闇を象徴しているのである。
最後まで終わらない佐奈とりょうの鞘当て合戦も見所の一つだろう。龍馬の無念をどちらが晴らすのかでいがみ合う二人はしかし、二人だけにしか分からない絆で結ばれているともいえる。龍馬暗殺の思わぬ真相と共に、二人の関係にもどんな終止符が打たれるのか、注目して読んでほしい。
文=石塚就一
明治6年秋。北辰一刀流千葉道場を訪れた一人の女によって道場主の娘「さな」の災厄は始まった。女は坂本龍馬の妻「りょう」と名乗ったが、さなはその龍馬の許嫁だったからだ。決して出会ってはならない二人の女が出会い、やがて、維新の闇に隠された事件の謎と巨大な陰謀が浮かび上がってくる――。