定年後に母の介護をしながらパソコンを始め、2016年からはアプリの開発を開始。17年に米国アップルによる世界開発者会議「WWDC 2017」に特別招待されたITエヴァンジェリストである若宮正子さんに「運動」についてお話を聞きました。
この記事は月刊誌『毎日が発見』2024年2月号に掲載の情報です。
運動がストレスになっていませんか?
それより人生を楽しむこと!
幸せの基準は健康だけじゃない。
昨今では、栄養補助食品はとるのが常識のようです。
「若宮さんは日頃、どんなサプリを飲んでいるのですか?」と聞かれて、「なーんにも飲んでいませんよ」と答えると、みなさんビックリします。
その後に「では、若宮さんはどうしてそんなにお元気なのでしょう?」と尋ねられるのが常ですが、たまたまとしか言いようがありません。
だって遺伝的なこともあるでしょうし、病気になるかどうかは運もあるでしょうし...。
とにかく、病気って理不尽です。
食生活にこだわっていた人ががんになったり、そうかと思えば不摂生をしてきた人がピンシャンしていたり。
だからというわけでもないのですが、私は健康に関しては無頓着。
なるようにしかならないのなら、ヤキモキすることには、あまり意味がないと思っているのです。
もしかしたら来るなら来いという強い気持ちが、病気をはね除けているのかも...?
運動に関しても、みなさん余念がないようです。
私の周囲にも、スポーツクラブへ足しげく通ったり、毎朝のウォーキングを日課にしている人が大勢います。
それが楽しいのなら、どんどんやるべきと思います。
でも、何事も"過ぎたるは猶及ばざるが如し"だなと感じることもあります。
例えば知り合いの男性は、若いころに陸上の短距離走で鳴らしたという経歴の持ち主で、70を超えた今も、現役のころのような走り込みを続けています。
体力が低下すると、できないことが増えてしまうからと言うのですが、あまりにストイック過ぎて、健康のためとはいえ体を酷使しすぎでは?と心配になるのです。
体力的にあきらめることが増えていくのは、なんだか悔しいし、寂しい気持ちになります。
でもそれは自然の摂理。
抗えば痛い目に遭わないとも限りません。
体を鍛えて体力を維持するという発想は、どこかでエネルギーを消耗せずに体力を温存するという発想にシフトチェンジしなければ、本末転倒になってしまうのでは、と思います。
実際、スポーツクラブに通っている人がすこぶる元気かといえばそうでもないし、運動していないという人が弱々しいかといったら、そんなこともありません。
大切なのは自分なりの心と体のバランスを整えることなのではないでしょうか。
年を取ったら、それなりに。
つまり潔く老いを受け入れることこそが健康管理の第一歩だと思うのです。
もちろん、私だって健康の大切さを痛感しています。
でも健康が幸せの絶対条件ではないことも事実。
健康を損なったからといって人生が終わるわけではないのです。
かの正岡子規は病床で俳句を作り続けて名作を残しました。
大病を患って以来、車いす生活を送っている友人も、本を読んだり、映画を観たりしながら充実した毎日を送っています。
このことから私は、体が動かなくなったら何をしよう?と考えておくことが、体力を維持するのと同じくらい大切なのだと考えています。
幸せの本質に気付けば、運動しなくちゃいけない、などといった強迫観念を手放すこともできるでしょう。
気の進まないことを自分に無理強いしても身にならない気がします。
それより、楽しく過ごすほうが健全です。
人生をディナーのフルコースに例えれば、私の世代はデザートタイム。
コーヒーを飲みながら、ゆっくりとスイーツを味わう至福の時です。
不安も焦りもかなぐり捨てて満喫しなければもったいない。
今の自分に相応(ふさわ)しい過ごし方を探究すれば、自ずと運動についての考えはクリアになります。
なんといっても自分のことは自分にしか分かりません。
健康信仰の蔓延する巷の情報に翻弄されず、心や体と相談したうえで、自分なりのスタイルを確立したいものです。
構成/丸山あかね イラスト/樋口たつ乃