仕事や子育てもひと段落したけど、新しく何かにチャレンジすることをためらってはいませんか?そんな人に向けて、『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!』(大野正人/文響社)から、誰もが知る偉人たちの大失敗エピソードをお届け。歴史に名を残す偉人の驚くべき逸話が、あなたの人生の「新しい発見」を後押ししてくれるはずです。
いろいろ
【人物】カーネル・サンダース
【出身地】アメリカ
【どんなことをした人?】「ケンタッキーフライドチキン」を作った
カーネル・サンダース。本名、ハーランド・デーヴィッド・サンダース。だれもが知っている人物です。え、知らない?いやいや、名前は知らなくても、このすがたを見たことはあるはずです。
そう、お店の前でやさしいほほえみをうかべながら立つこの人こそ、世界中にお店をもつ「ケンタッキーフライドチキン」を作った人、カーネル・サンダースなのです。
カーネルがケンタッキーフライドチキンを作ったのは、65才のとき。世界中で大人気のお店を作り上げたのだから、それまでも、さぞかしすごい人生を歩んできたのだろうと思うかもしれません。でも、これがなかなか「アチャ~」続きの人生だったわけです......。
初めて働いたのは10才のとき。「家族を助けたい」というりっぱな理由からでした。あたえられた仕事は、木を切りたおす手伝い。でも、まだまだ子どものカーネル少年は、仕事のとちゅうで動物を見つけては、おいかけたりしていたため、わずか1か月でクビになってしまいました。カーネルはひどく落ちこみ、「次はまじめに働こう!」と強くちかったのでした。
それからは、本当にまじめに働き、学校にも通いました。ちなみに、子どもが働くことは、カーネルが生きていた時代はめずらしいことではありませんでした。仕事はまじめにこなしていたカーネル少年でしたが、学校の勉強は、先生の教え方が悪かったせいか、なっとくのいかないことが多く、13才で学校に行くのをやめてしまいました。
その後、いろいろと仕事を変えた後、16才で鉄道会社に入ったカーネル。何事もがんばりぬく性格から、どんどん仕事をおぼえて出世します。しかし、正義感が強いカーネルは、仲間の社員が鉄道のじこでケガをしたのに、お金をはらわない会社に反発。お金を出させることに成功しますが、そのせいで会社のえらい人たちにきらわれ、会社を追い出されてしまいます。
じつは、法律を勉強していたカーネル。22才で弁護士のじむ所で働きますが、ある裁判で弁護する人ともめて、なぐられてしまったのです。やられたら、やり返す!
それがカーネル。イスを持ち上げ、相手に投げようとします。しかし、この行動は止められ、「法律で戦う弁護士がぼうりょくをふるおうとした」ことが問題とされ、弁護士の道は閉ざされてしまいました。
26才から、物を売り歩くセールスマンを始めます。じつは、カーネルには天才的なセールスの才能があり、いちやくトップセールスマンになりました。そして、31才のとき、自分のお金をすべてつぎこんで、新しいライトを売る会社を作ります。しかし、さらに新しいライトが発明されたことで会社はあっけなくつぶれ、カーネルは34才で無一文になってしまったのです!
お金がなくなり、ふたたびセールスマンになりましたが、なんと自動車のじこで大ケガをして半年以上休むことに。ケガが治り、仕事をさがしていると、こんな声がかかります。
「君、ガソリンスタンドの仕事やってみない?」
こうして、37才でガソリンスタンドの店長になったカーネルは、心のこもったサービスで、売り上げをどんどんのばしました。でも......?
今度は、カーネルを不景気の波がおそいます。不景気になると、みんなお金をあまりかせげなくなります。それでも、カーネルはその正義感の強さからか、お金のない人に「お金は後でいいから」とガソリンをわたしたのです。しかし、不景気は続き、後でもらえるはずのガソリン代がもらえない......。カーネルはふたたび、仕事を失ってしまいました。
でも、すぐに「また、ガソリンスタンドをしないか?」という話がまいこんできて、ふたたびケンタッキー州でガソリンスタンドを始めます。このスタンドは、大きな通りにあり、車がどんどんやってきて、お客もカーネルのサービスに大満足!
でも、お客にはひとつだけ不満がありました。それは、近くにおいしいお店がないこと。そこで、カーネルはひらめきます!
カーネルは、ガソリンスタンドに食事ができる場所を作り、自分の料理を出したところ、大人気に!じつは、料理も得意だったのです。とくに人気だったのがフライドチキン。そのおいしさに、人がどんどん集まりました。さらに、ガソリンスタンドをふやし、近くにホテルも作ると、どれも大人気に。カーネルはやっと「アチャー」な人生からぬけ出したのです。
しかし、1956年。カーネル65才のときに、すべてつぶれてしまいます。近くに高速道路ができ、みんながそちらを通るようになったため、カーネルのガソリンスタンドに行く理由がなくなってしまったのです。こうして、またまたすべてを失ったカーネル。残されたのは、フライドチキンの作り方だけ。でも、ここから、カーネルの本当のかつやくが始まるのです!
カーネルは、考えました。
「他のお店にも、このフライドチキンをおいてもらって、売れた分だけお金をもらおう」
じつは、ガソリンスタンドがつぶれる4年前に、あるレストランでためしにフライドチキンを売ってもらったところ、大人気になったことがあったのです。かつてガソリンスタンドがあった場所から、「ケンタッキーフライドチキン」と名付け、65才のカーネルは、車にフライドチキンを作るために必要な道具を積んで、広いアメリカを飛び回ります。お金がないので、夜は車の中でねむります。
最初はうまくいきませんでした。1500回もことわられたという話もあります。でも、中にはこころよくフライドチキンをおいてくれるお店もあり、そのお店には、フライドチキン目当てのお客がどんどん入るようになったのです。
こうなると、商売の風向きも変わります。カーネルがフライドチキンを売り歩き始めてから2年後、カーネルの電話は、鳴りっぱなしになりました。
「うちにもケンタッキーフライドチキンを!」
こうして、カーネルのフライドチキンは、アメリカ中に広まり、やがて世界各国へ。日本でも多くのお店を出すようになったのです。
カーネル・サンダースの人生。それは、だれよりも上がり下がりのはげしい人生でした。これは、人生はいつからでもやり直せる、人は何度でも立ち直れるということを、わたしたちに教えてくれます。
もちろん、かんたんなことではありません。
「これだけはできる」という自分ならではの武器も必要です。カーネルの武器は「売りこむこと」でした。でも、この武器も、最初からもっていたわけではありません。何度も失敗して、初めて身につけたものです。
何でも、しんけんに、やってみる。一見バカみたいなことでも、しんけんにバカをしてみる。そうすると、何かしら身につくものです。そして、いろいろなものを身につけて強くなった自分こそ、失敗から立ち直らせてくれる最大の武器。そして、そんな強い自分を作れるのは、今の自分だけです。
カーネルのように、どんなことでも笑って、楽しく、しんけんに。そうすればきっと、どんな失敗でも乗りこえられる自分を作ることができます。
イラスト/死後くん
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