まず介護する人が幸せになる。幸せは伝染するから/岸見一郎「老後に備えない生き方」

『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「病者と向き合う」です。

まず介護する人が幸せになる。幸せは伝染するから/岸見一郎「老後に備えない生き方」 pixta_37190074_S.jpg前の記事「「よくなって」といわないで、相手の「今」を愛せばよい/岸見一郎「老後に備えない生き方」」はこちら。

 

病気を見ない

読者の相談を見てみよう。

「自分の年齢に近い人でまわりに認知症になりかけている人が二人います。普段、話をするのが難しく感じます。接し方などを教えてください」

認知症の人にどう接すればいいかについては前回、長谷川医師(※「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発した長谷川和夫医師。自らが認知症を発症したことを一昨年に公表した)の言葉を引いた。長谷川医師は、自分と同じ人だと思い、認知症だからといって、特別な待遇をしないことを勧めている。

関連記事:「認知症でたとえ何もできなくなっても、生きているだけで役に立てている/岸見一郎「老後に備えない生き方」」

いつか図書館に本を借りに行った時、係りの人が私に接する時には普通に話していたのに、小学生が本を差し出したら途端に子ども言葉になったので驚いた。大人であろうと子どもであろうと同じように話せばいいのである。

さらにいえば、病気であることを考えに入れないで接するのがいいと思う。たしかに認知症がどういう病気かを知っていれば、相手が今し方のことを忘れても怒る必要を感じなくてすむが、その場合、人と接するというより病気と接することになってしまうからである。

身の回りの人を思い浮かべる時、その人の属性を考える。美しい人、年のいった人という場合の「美しい」「年のいった」が属性である。このような属性は多々あるはずなのに、この人は病気だと見れば「認知症の」という属性をその人につけてしまう。

少なくとも、以前は「認知症の人」ではなかったが、今や認知症になったとしても、認知症はその人を表す唯一の最重要な属性ではないはずだ。

病気であろうとなかろうと、前と同じように接してほしいが、一つ少し難しい問題がないわけではない。子どもの頃、私の友人が耳が聞こえなくなった。私はそのことに触れてはいけないと思い、普通に接しようと思った。ある日、こんなことをいわれた。自分が耳が不自由であることは事実なので、それをまったく気にしていないようにふるまうのはおかしい、と。 私は、その友人が耳が不自由であることに、かえってとらわれていたのだ。

 

「主人は認知症の軽いのが始まっています。病院でもらう薬は飲んでいます。ただの老人の物忘れと思えばいいのでしょうが、直近のことをよく忘れるようになり、私がいったことを聞いてないといったり、置いたところを忘れたりすることがあります。このことを他の人にいった方がいいのか、一方知られたくないとも思うし、悩みます」

長年連れ添ってきたパートナーの物忘れが激しくなると動揺してしまう。私の父は食事を終えた直後に「飯はまだか」とたずねるようになった。最初は脱力感が強かったが、直近のことを忘れるのが病気なのだから責めても仕方がない。今食べたではないかといってみても、思い出すわけではない。前回引いたエピクテトス(※古代ローマの哲学者。55年ごろ~135年ごろ)の言葉を使うと、直近のことを忘れることも、忘れさせないようにする働きかけも「権内(けんない)にない」、つまり、どうすることもできない。

しかし、忘れたという家族にどう対応するかは「権内にある」。感情的にならず、ただ事実を伝えることならできる。私は「飯はまだか」と問う父にただ「食べた」という事実を伝えた。父はあっさりと「そうか」と引き下がった。

人によっては怒り出すこともあるかもしれないが、その場合もこちらは冷静に対処するしかない。

「認知症」を「ただの老人の物忘れ」と見ると深刻さがやや軽減するが、もう一歩踏み込んで次のように考えることができる。症状を実体化しなければ対処の方法が見つかる。実体化するというのは、例えば、「私は床につき、眠りにつくまで三時間かかる」という過程に「不眠症」というレッテルを貼ることである。

起こっていることは、眠りにつくまで三時間かかること、また、床についてから考えごとをしてイライラすることである。行動や習慣であれば改善することはできる。

認知症についても、それを実体化しないで、今し方のことを忘れるという行動にだけ注目すれば、家族は忘れることによる危険などを回避する工夫をすることができる。病気だと思うと、どうすることもできないと諦めてしまうことになる。

 

まず自分が幸福になる

「母が癌で、この二年、入退院と手術を繰り返しています。一喜一憂の日々、看護と日常生活の難しさに悩みます」
「病気がちの主人は、家族の支援が必要です。脳梗塞の後遺症で新しいことが覚えにくく、体力も落ち、私に頼りがちになりました。主人を支えるのは進んでやりたいと思いますが、その一方、自分自身の人生のことを考えると、今のままではいけないと思っています。どうしたら自分の中で折り合いをつけられるでしょうか」

私が父の介護を始めたのは、私が心筋梗塞で倒れて数年後、病気の療養のため外での仕事を控えている時だった。少しずつ元気になってきたので、また前のように働こうと思っていた矢先に父が認知症であることがわかり、私が週日は父の介護をすることになったのである。

病気から生還できたことだけでもありがたいのに、元気になると、現役を二十年も前に退いた親の介護を私がしなければならないことを理不尽であると思ってしまった。

いつか見たテレビ番組でうつ病のことが取り上げられていた。ある女優が脳梗塞で倒れた夫の介護をするために仕事を辞めることを余儀なくされ、それが引き金になって鬱になったという。

ある日の新聞には、認知症の母親と二人で暮らしている男性の記事が載っていた。男性は、母親を介護するために退職しなければならなかった。

ある日、朝食後、母親が「勤めに行かなくてもいいのか」といった時、「誰のおかげで仕事が決まらないと思っているんだ」と思わず声を荒げた。母親の言葉が病気のせいだとわかっていても、感情をコントロールできない自分が怖くなったと記事には書いてあった。

親を虐待したり危(あや)めるというようなことは誰もがすることではないが、このようなことは決して他人事ではないのである。同じ状況にあれば、同じことをしてしまう危険性は誰にもある。

介護をしている人には是非知ってほしいことがある。哲学者、三木清が次のようにいっている。「我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか」(三木清『人生論ノート』)

 

親は子どもの幸福を願う。子どもの幸福を喜ぶ。子どもが幾つになっても。だから、親に自分のせいで子どもは苦しんでいると思わせることがあってはならない。

夫婦も同様にパートナーの幸福を願うはずである。

だから、介護がどれほど大変であっても我が身を犠牲にすることなく、自分の人生を大切にしなければならない。そうすることは、自分のためだけではない。

三木清の言葉をもう一つ紹介しよう。
「鳥が歌うが如くおのずから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である」(三木清、前掲書) 

幸福は伝染する。まず、介護する人が幸福になってほしい。

 

※この他の「老後に備えない生き方」はこちら。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)さん

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2019年3月号に掲載の情報です。

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