『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「病者と向き合う」です。
「よくなって」といわない
ある高校で講演した時、講演が終わってから女子生徒が質問しにやってきた。彼女は医師になりたいという。
「親が医師なのです。でも、私が医師になろうと思うのは親とは関係ありません」
今の時代は勉強ができるから医学部に行くというような安易な考えの人が少なくないので、一体どんな動機があるのかと思って話を聞いた。
「子どもの頃から勉強が好きで、本もたくさん読んできました。私が本を読むようになったのは祖母の影響なのです。勉強も一生懸命しました」
とにかく知識を得ることが楽しいので、勉強が苦しいと思ったことは一度もないという。
「何かになりたいからとか有名大学に行きたいから勉強してきたのではなかったのです」
「それでは、なぜ今は医師になろうと思っているのですか」
「最近、私に学ぶことの喜びを教えてくれた祖母の具合が悪く、アルツハイマー型認知症と診断されました。治療は受けていますが、よくなっているようには見えません。子どもの頃から私によくしてくれた祖母を治したいので医師になりたいのです」
もちろん、祖母だけを治したいという意味ではなく、同じ病気で苦しむ人を救いたいという意味である。私は、治療法が確立していないこの病気の研究を是非してほしいと伝えた。
話はそれで終わらなかった。彼女は、かつては元気だった祖母が今病気になっていろいろなことができなくなったことを受け入れることができないのである。
「おばあちゃんにいつも私は『よくなってね』というのですが、この言い方でいいのでしょうか」
自分がかける言葉が適切かどうかに注意することは大切だと思う。医療者が無頓着なことをいい、患者や家族を怒らせたり、悲しませたり、傷つけたりすることをよく見てきたからだ。
見舞いにやってきた親戚や友人が思慮なく、根拠なく「すぐによくなる」と病者の回復を断言することの問題は先に見た。
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見舞いにきた人も一日も早くよくなってほしいと願っているはずなのだが、「すぐ」によくなるかどうかは誰にもわからないし、医師から回復は困難であることを伝えられているかもしれないのである。
この生徒が祖母に「よくなって」というのは彼女の希望ではあるが、子どもの頃から知識欲の強い彼女は、当然、この病気について調べているはずなので、見舞客が病者の置かれている状況を十分理解しないままにかける楽観的な言葉とは違うだろう。
「『よくなってね』という時、どんなふうに感じるのですか」
「よくわからないのですが、抵抗があります。でも、なぜ抵抗があるか自分ではよくわかりません」
「あなたが病気だったとして、『よくなってね』といわれたらどう感じるかと考えてみれば何かわかるかもしれません」
「『よくなってね』といわれたら嬉しいでしょう。入院していたら一日も早く退院して学校に行きたいと思うでしょうから。でも...」
ここで少し次の言葉までに間があった。
「でも、もしもすぐには治らないことがわかっていたら、そういってくれる人の期待に添えないと思うかもしれません」
私はこんな話をしてみた。「親は子どもに『頑張りなさい』といいます。悪い成績を取ってきた子どもには『次は頑張りなさい』というでしょうし、いい成績を取ってきた子どもには『次も頑張るのよ』といいます。頑張ってもいい成績を取れないと思っている子どもはそんなことをいわれても無理だと思うでしょうし、いい成績を取った子どもでも今回はたまたま勉強していたことが出題されたからいい成績を取れただけで本当は実力があるわけではないと思っていたら、『頑張れ』という親の言葉は子どもにとってはプレッシャーにしかならないでしょうね」
「おばあちゃんは『よくなってね』という私の言葉を負担に思うかもしれないということですか」
「よくなるかどうかは誰にもわからないのです。孫の期待に添えないと思われるかもしれません」
「私はどういえばいいのですか」
ありのままを受け入れる
話はここで振り出しに戻ったが、考えの道筋が見えたのだろう、彼女は次のように答えた。
「『よくなってね』というと、今のおばあちゃんを受け入れていないという意味になるのですね。私が子どもだった時、おばあちゃんは今よりも若かった。その時のおばあちゃんと今のおばあちゃんとは違います。でも、あの時のおばあちゃんも今のおばあちゃんも大好きです」
「それなら、今日家に帰ったら早速そのことを伝えてみたらどうですか」
祖母の話を始めた時は泣きそうだったのに、にっこりと微笑んで彼女は帰っていった。
人を愛するのに理由はいらない。かつてできたことができなくなったからといって親やパートナーを愛せなくなるのはおかしい。今目の前にいる人はたしかにかつての人ではない。そうであれば、目の前にいる人を愛せばいいだけである。
青山光二(※1913~2008年。作家。著書に『修羅の人』などがある)が九十歳の時に書いた『吾妹子(わぎもこ)哀(かな)し』という小説がある。アルツハイマー型の認知症の妻が描かれているこの作品は、秀逸な恋愛小説である。記憶をなくしたはずの、失禁、徘徊を繰り返す妻がある日不意打ちのように口にする言葉から、妻を介護する杉圭介は、二人の若き日の愛の思いを蘇らせる。
「そういえば、わたしの名前、何ていうんだったかしら」
「困りましたねえ。何ていうお名前でしたかねえ」
「でも、名前なんか要らない」
「何だって」
「わたしという人は、杉圭介という人の中に含まれてるんですから」
「哲学者みたいなことを云うね」
「あなた、たしか哲学者だったのよね」(青山光二『吾妹子哀し』)
私の父は母のことを忘れてしまった。母は若くして亡くなったが、もしも生きていれば、晩年の父とこんなやり取りをしたかもしれない。
杉は「全身全霊をかけた自分の愛を今も疑うことはできない。あの愛は記憶の中にあるだけかというと、そうではない。今も愛は生きている」というのだが、今、妻を愛しているのなら、それは過去の愛が生きているのではなく、「今」愛しているということである。たとえどちらかが相手のことを忘れてしまっても、「今」愛することはできる。病気であってもなくても、本来、人は今ここでしか愛することはできないのだ。
ありのままを受け入れることは自分についても必要なことである。たとえ何もできなくなる日がきても、自分の価値がなくなるわけではない。何かができることに価値を見る今の時代に、生きていることがそのまま価値があると見ることには勇気がいる。
しかし、自分の価値を生きていることに見出すことができる人は、他者に対しても生きていることがありがたいと思えるはずである。