50歳、独身で無職の長男が心配。この先どうなるのか/岸見一郎「老後に備えない生き方」

『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「よい関係であるために」です。

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前の記事「親は人生を「経験」してきただけ。子どもより賢いわけではない/岸見一郎「老後に備えない生き方」(1)」はこちら。

 

共同作業

子どもがまず精神的に親から自立し、終(つい)には経済的にも自立することは、親が子どものことを思い煩わず、自分の人生を生きるために必要である。どんなに子どものことが心配でも、いつか子どもと別れなければならないのである。

さらに、問題を共同して解決することである。親が「こうしなさい」と子どもが本来自分で決めなければならないことについて指示することは子どもの反発を招くだけである。親もどうしていいかわからないことも多い。そのような時は、「私もどうしていいかわからないけれど一緒に考えよう」という申し出をするしかない。

何か問題に直面してカウンセリングにくる人にも、カウンセラーが一方的に「こうしなさい」ということはない。一緒に考えるのである。
子どもの方もそれを受けて、率直に自分の思いを伝えられ、親からの助言を受け止められるような親子はよい関係といえる。

 

目標の一致

最後に、目標が一致していることである。どんな関係であれ、私たちはこれからどこに向かおうとしているのかという目標が一致していることはよい関係であるためには必要である。
 
例えば、付き合っている学生のカップルが学業を終えてからどうするかについて考えが一致していなければ、普段は関係がよくても、将来の話になった途端にぶつかることになる。 

親子関係の場合の目標は自立である。いつまでも親は子どもの世話をすることはできないし、子どもも親にいつまでも頼るわけにはいかない。いつも、今していることは子どもの自立の妨げになってはいないかを考えなければならない。

 

問題解決に向けて何ができるか

読者の相談を見てみよう。
「子離れする一番のルールは何でしょうか」

子育ての目標が何かを明確に理解することである。それは先に見たように「自立」である。こんな親に頼っていてはとんでもないことになると子どもが思ったり、喧嘩をしたりして子どもの方から離れていくこともあるが、できれば平和裡(り)に別れたい。
尊敬を意味する英語のリスペクト(respect)には、「再び見る」、あるいは、普段は忘れてしまっていることを「振り返る」という意味がある。何を振り返るのか。「この子と私は今は一緒に生きているけれど、いつまでも一緒にいることはできない。しかし、その時までは仲良く生きていこう」ということである。

これは子どもが小さかった時はもちろん、大きくなってからでもすぐに忘れてしまう。しかし、折に触れて思い出し、子どもが自立できる日がくれば(その日は、大抵、親が思っているよりも早くやってくる)、子どもが離れていくことを止めないでおこうと覚悟していなければならない。

 

「私の目標は執着、依存をしないことですが、なかなか思うようにできないでいます」

もちろん、人は誰からの援助も受けず、自力で生きていくことはできないが、精神的には子どもだけではなく親も自立する必要がある。そのためには、人に、特に子どもに執着、依存しないことは大切である。子どもとて親の期待を満たしてくれるわけではない。必要な援助であればしてもいいが、見返りは期待してはいけない。

子どもに限らず人に頼られると貢献感は持てるが、度を越すと自分に頼る人に依存することになってしまう。先にフロムの「尊敬とは、他人がその人らしく成長発展していけるよう気づかうこと」という言葉を引いたが、人を援助するのは相手の成長のためなのであって、自分が満足するためではない。

 

「病気で三年間家でぶらぶらしている五十歳の長男。何でもいいから社会とのつながりを持つように時々いうのですが、どう思ってるのかどこ吹く風で、親も八十歳で年金暮らし。日常的には普通の生活をしていますが、もちろん生活費は全部親が負担しています」

病気をきっかけに復職することが難しいという状況は私自身五十歳の時に大病をした経験から理解できるが、本人もこのままでいいと思っているわけではないだろう。

親はいつまでも子どもの生活の面倒を見るわけにはいかない。そのことはいわなくてもわかっているはずだが、これからどのように生きていくかは子どもが自分で決めるしかない。

親ができることはあまりないが、まず、ありのままの子どもを受け入れることである。療養するというのは、基本的にぶらぶらすることである。子どもにしてみれば親にだけは現状を、働かずにぶらぶらしているとは思ってほしくないかもしれない。

現状がどうであれ生きていることをありがたいと思いたい。そして、子どもが今の状況を何とかしようと思っているということを信頼してほしい。

その上で、いつまでも親に頼っては生きられないことをきちんと話してもいいと思うが、「今のままだとどうなると思う?」という言い方を受け入れられるような関係が築けているかが問題である。

親が「このままでは駄目だと思う」ということをいっても、子どもが受け止めてくれるという信頼感がなければ、これからの人生について話し合うことは難しい。

 

「息子が二人いて(三十九歳、三十六歳)、二人とも他人に気を遣うのが嫌で結婚しないと独身を通しています。この考え方はどう思われますか。親としては早く結婚してほしいのですが」

結婚するしないは息子さんたちが自分で決めることなので、原則的には親が子どもたちの課題に立ち入ることはできない。結婚してほしいと親の希望を伝えることはできるが、それ以上のことは残念ながらできない。

子どもが結婚をどんなものと見るかは親を見て判断していることが多い。父親、母親のどちらかが、あるいは両方が相手に気を遣ってきたのを見て、結婚するとは気を遣うことだと思っているのだろうと想像する。親の結婚して以来の人生がどのようなものであり、結婚したことで幸福な人生を送れたという話を子どもたちとできたらいいのだが。

 

「今年から四十六歳の息子と同居しています。夫と時々ぶつかり間に入ってすごく疲れます。自立して息子に家を出ていってもらいたいのですが、アルバイトなど無理だといいます。食事の支度も面倒になり、毎日が辛いです。病気になってしまったため、本人もこんな人生と思っているようです」

自分が何とかできるのは、自分と子どもとの関係、自分と夫との関係だけで、自分には接点がない子どもと夫との関係はどうすることもできない。だから、間に入って何とかしようと思わないこと。

これから先の人生がどうなるかは誰にもわからない。さしあたり、子どもが同居している今の生活を仮のものだとは考えずに、今の生活をできるだけ快適にすることはできる。

病気の回復具合によっては難しいかもしれないが、家にいる子どもが家事を手伝ってはいけない理由はない。買い物に行ってもらうことも、料理を作ってもらうこともできる。

いきなり社会復帰をすることはできなくても、家事をすることで貢献感を持てれば、「こんな人生」とは思わなくなるだろう。家事をする人生は外での仕事とその価値に何の違いもないはずなので、今を外で働くための準備期間と見てはいけない。

 

「私は息子のことを毎日心配しています。五十歳ですが結婚していなくて独身です。一応介護の仕事をしていますが、私たち両親が先に死んだら一人で寂しくないかしらと考えたら辛くなります」

親が先に死んで、その後寂しくて生きていけないような人はいない。そう、まず思い、子どもは親が心配しなくても自力で生きていけると信頼してほしい。

 

※この他の「老後に備えない生き方」はこちら。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)さん

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書はベストセラーの『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2018年10月号に掲載の情報です。
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