『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回はその4回目を掲載します。
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前の記事「両親のただ一回きりの海外旅行から学んだこと。人生を先送りしない/岸見一郎「老後に備えない生き方」(3)」はこちら。
今日を生きるために
未来のことを思うと不安になる。不安に囚(とら)われると今日という日を生き切ることができなくなる。この先、何がいつ起こるかは誰にもわからないのだから、まだきていない先のことばかり考えていると今日という日をふいにしてしまう。そうならないために、未来を手放そうという話を以前した。
人が囚われるのは未来だけではない。過去にも囚われる。誰も人生を二度生きる人はいないのだから、人生のどんな時期にも初めて経験することばかりである。そのため、人生の選択を誤ったり、学校、職場、家庭での対人関係で躓(つまず)くことは避けられない。人生は後悔の集大成にならざるをえない。
たとえ何かに躓くことがあっても、失敗を通じて学んでいくのだと考えられる人であれば悩まないだろうが、いつまでもあの時あのようにしたらよかったと後悔ばかりしていると、前向きに生きることはできない。
そこで、まだきていない未来を手放すように、過去も手放すことができれば、後悔することはなくなり生きる姿勢が変わるだろうが、未来と違って、現実に過去を生きたことを覚えているので、過去を手放すことはまだ起こっていない未来を手放すよりも、はるかに難しいだろう。
過去を忘れる
晩年、認知症を患った父は、過去のことはもとより、今しがたしたことやいったことを忘れるようになった。父は認知症と診断される前からも、物忘れがひどくなり始め、「私だけが忘れていることに気づいていないということがあるかもしれない。それが怖い」とよくいっていた。
それでも、そのようにいっていた父は、時に忘れることがあっても忘れることがあることはわかっていたが、やがて忘れたことにも気がつかなくなった。
父が物忘れがひどくなり始めたのと同じ年齢に私も近づいた。幸い、大事な約束を忘れるようなことはないが、後から返事をしようと思っていたメールに返事をするのを忘れるというようなことは時々ある。
同窓会などで何十年ぶりに会った人から、学生の頃に私がこんなことをしたとかいったとかいわれることがある。ところが、そんなことをいわれても覚えていないと、誰か別人の話を聞いているような気がする。
なかった過去
これとは反対に、実際にはなかったのにあったと思い込んでいることがある。
小学生の時に父に殴られたことがあった。普段温厚な父がなぜあれほど激昂したのかは今となっては思い出せない。よほど父の気に障ることをいったか、したのだろう。私は怖くて机の下に逃げ込んだが、そこから引っ張り出されてまた殴られた。
私はこの時のことをリアルに覚えていて、それが実際にあったことを疑ったことはなかったのだが、その確信が揺らいだことがあった。
ある時、私が当時住んでいた家の近くで殺人事件が起こったのである。殺人事件についてはニュースで見聞きすることはあっても、現実に近くで人が殺されたかと思うと恐怖を感じた。まだ犯人は捕まっていなかった。
事件のあった翌日、二人の刑事さんが家にやってきた。にこやかに話しかける二人を見て、テレビドラマに出てくるような恫喝する刑事というのはやはりフィクションなのだと思った。
ところが、「昨日の朝十時頃どこにおられましたか」と問われた時から、明らかに私が疑われていることがわかった。困ったことに、その時間、私は一人だった。そうすると、私のアリバイはないことになる。
その時、どうやって嫌疑を晴らしたかは思い出せないのだが、私は父に殴られた時のことを思った。父に殴られた時、その場には父と私以外には誰もいなかった。そうすると、私がどれほど父に殴られたといってみても、父がそれを否定すれば、私はたしかに父に殴られたということを証明するすべはないのである。
不思議なことに、その後、父は私を殴った時のことを私に話したことはない。私も父とそのことについて話したことはなかった。実際にあったことなのかどうかすら、父が亡くなった今となってはいよいよわからない。
私が話をしなかったのは、話を持ち出すことで父と気まずくなることを恐れたからだが、父はその時のことを話題にすることを避けたというよりも、そもそもそんな(私にとっては大きな)事件があったことすら知らないように見えた。自分がその事件の当事者の一人だというのにである。
あれから半世紀以上経った今、私はこの一件はなかったのではないかと思うのである。
「忘れてしまったことは仕方がない」
子どもの頃から父との関係はよくなかった。母との関係はよかったのに、父と心を開いて話をしたことはなかったように思う。
しかし、父ともいつも関係が悪かったわけではない。普通に談笑することは当然あったし、むしろ、そんな時の方が多かっただろう。
それなのに、なぜ父に殴られた時のことを折に触れて思い出したかといえばわけがある。父との関係をよくしないためである。今は父は笑っているけれども、本当は怖い人なのだ。だから仲良くなってはいけないと思わなければならなかったのである。なぜ父との関係をよくしようと思わなかったのかは後で書くが、父に殴られたことが原因で父と不仲になったわけではないのである。関係が近くなりそうだと思った時に、過去の一件を思い出し、父を私の方から斥(しりぞ)けたというのが本当である。
その父がある日いった。
「忘れてしまったことは仕方がない」
認知症を患っていた父は常は深い霧に中にいるような状態だったが、いつもそうではなく、ふいにその霧が晴れ渡る日がくることが時々あった。その日も、父が病気になる前の父に戻っていることに気がついた。
父がこの日「忘れてしまったことは仕方がない」といったことに私は大いに驚き、困惑した。なぜなら、父がそういった時、忘れたことがあることを理解していたからである。
父はさらにこういった。
「もういっそ過去のことはすべて忘れて一からやり直したい」
父は過去を手放す決心をしたのである。この父の言葉を聞いて、今となっては事実かどうかもわからない出来事にいつまでも囚われるのはやめ、私も過去を手放そうと思った。父が過去を手放し、一からやり直したいといっているのに、私が過去に執着しても始まらないからである。
私は、「今は父は笑っているけれども、本当は怖い人なのだ」と思おうとした。しかし、過去を手放すことができれば、父は「本当は」怖くないと思えるだろう。過去がもうないのなら、過去の父は現実の父ではないのである。
次の記事「なぜ私は父との関係をよくしようとしなかったのか/岸見一郎「老後に備えない生き方」(5)」はこちら。
岸見一郎(きしみ・いちろう)先生
1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書はベストセラーの『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。