なぜ私は父との関係をよくしようとしなかったのか/岸見一郎「老後に備えない生き方」(5)

pixta_32362161_S.jpg『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回はその5回目を掲載します。

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前の記事「過去を手放すことは未来を手放すより難しい/岸見一郎「老後に備えない生き方」」はこちら。

 

対人関係の恐れ

なぜ私は父との関係をよくしようとはしなかったのか。アドラー(※アルフレッド・アドラー。1870~1937年。オーストリア出身の精神科医、心理学者)は「あらゆる悩みは対人関係の悩みである」といっている。人と関われば何らかの摩擦が生じないわけにはいかない。

嫌われたり、憎まれたり、傷つくような体験をする。そのような経験をするくらいならいっそ誰とも関わらないでおこうと思う人がいても不思議ではない。

私も父に近づくことを恐れていたのだと思う。父は私が大学で哲学を学ぶといった時に、母に反対させようとした。母はその時「あの子がすることはすべて正しいのだから見守ろう」といってくれた。

母は私の生き方を理解してくれたが、父には理解できないと私は思った。私の生き方を理解しない父と揉めるくらいなら、父に近づかないでおこうと思ったのである。

つまり、それまで私が父との一件にこだわり、過去を手放そうとしなかったのは、先に見たように、父との関係をよくしないためだった。実際に父との関係がよくなかったのではない。私がよくしないでおこうと決心していたのである。

そうであれば、関係をよくしようと思うなら、関係をよくしないでおこうという私の決心を取り消せばいいだけである。

 

諦念(ていねん)ではなく覚悟

父の話に戻ろう。
父が「忘れてしまったことは仕方がない」といったのは、過去のことはどうでもいいという意味ではなかっただろう。

「忘れた」ではなく「忘れてしまった」と父がいったのはたまたまではないように思う。「忘れてはいけないこと忘れてしまった」という意味である。その時の「仕方がない」は、諦念ではなく、忘れたという事実を受け入れようという覚悟である。

何を父は忘れてはいけなかったのか。若くして亡くなった妻のこと、私の母のことは父にとって忘れてはいけないことだったはずある。父がその母のことを忘れてしまったことはにわかには信じがたいことだった。

しかし、晩年にかつて自分が四半世紀前に結婚し四半世紀人生を共にした妻が自分よりも早く逝き、その後、長く一人で生きてきたことを忘れられないでいることが父にとってはたして幸せだったかといえば判断は難しい。

しかし、この日の父の言葉を聞き、私は父が母のことを決して忘れているわけではないことを知った。妻のことは忘れたくはないし、思い出したいけれど、どうしても思い出せない。だから「仕方がない」のである。消極的な諦めではなかったのである。

ある日、父はこんな話をした。夢を見たというのである。
「『奥さんですか』とたずねる人があって、ちらっと隣の人の顔を見たが、よくわからなかった」
時々、過去のことが蘇ってくるのだろうが、思い出そうにも、はっきりとは思い出せなかったようだ。霧が晴れたある日、父は自分が忘れたこと、忘れてはいけないことがあることに気づいたのである。

忘れてしまってはいけないことが母のことであれば、「一からやり直したい」という父の言葉は母との関係を一からやり直したいという決意表明である。

父がもし母と再会することがあれば(ということを私はよく夢想するのだが)、そして、その時、互いのことを忘れてしまっていても、たちまち若い時に出会ったときのように惹かれ合うだろう。

 

穏やかに生きるために

読者からの相談を見よう。

「七十代。今までの自分、特に失言を思い出し、強い自責の念にかられています。これからの生き方を模索ばかりしています。気力も体力も衰え、九年前に居眠り運転のトラックに追突され、身体にも大きなダメージを受けました。全治は望めず、無気力な毎日を送っています。これからどうすれば心穏やかに生きていけますか」

失言しなかった人はいない。失言で人を傷つけたり、怒らせたりし、そのために怒らせた人と絶交することになったり、そこまでいかなくても、疎遠になるという経験をした人は多いだろう。

故意に人を傷つけようとか怒らせようと思う人はいないだろうし、失言した時そのことをまったく悔やまない人もいないだろう。しかし、多くの人がこの人のように失言を思いだすと必ず強い自責の念にかられるかといえば自明ではない。

この自責の念には目的がある。過去に目を向けるためである。気力、体力の衰え、さらには事故の後遺症も同じである。無気力な毎日を送っているということだが、過去にばかり目を向けているわけではない。「これからの生き方を模索ばかり」するのは生き方の姿勢としては好ましいが、過去を手放さない限り、「模索」から抜けられない。

哲学者の森 有正(ありまさ)が次のようにいっている。
「この間ある七十以上になる老人がしみじみ僕に語った。『七十年! 夢のように経ってしまいますよ。のこるのは若い時のなつかしい回想だけです。青春は短いなどと言っているが、短いどころではない、あっという間に過ぎ去ってしまいます。』僕はこの老人の言葉は実感から出ていると思う」(『バビロンの流れのほとりにて』)

私は人生について森とは真逆の考えであり、今はそれについて詳しくは論じないが、森は人生の終わりになって顧みて思うのは、人生のよい時は若い時であり、それに並ぶ時はもうなかったということではないかと書いた後で、この「七十以上になる老人」の言葉を引いている。

私はこの人が「のこるのは若い時のなつかしい回想だけ」といっていることに注目したい。先の読者が、過去を思い出し、強い自責の念にかられているというのと大きな違いがある。若い時に限らず、人生の終わりにどんな想いが残るかは、今どんな人生を生きているかによる。どんな人生を生きれば「なつかしい回想」だけが残るかはこれから考えなければならない問題だが、ここでは過去に目を向け、自責の念にかられることを思い出すのは、これからも過去に経験したのと同じようなことが起こるのなら、無気力な人生を送るしかないと思うためであることを知ってほしい。

対人関係は煩わしく、それによって傷つくことを恐れる人は多い。しかし、生きる喜びも幸福も対人関係の中でしか得ることはできないのである。幸福な対人関係の中に入るためには過去を思い出してブレーキをかけるのをやめるのが先決である。

 

過去はない

私は父との関係がよくなかったと長く思いこんでいた。実際にそんな時期もあったがずっとそうだったはずはない。関係は少しずつ改善し、父が認知症を患い介護を要するようになった頃からは特に関係がよくなったと思う。

そうなると、これまで父と生きた人生が変わってしまった。晩年の父との関係、父についての私の見方が変わったからである。そうなると、父との関係をよくしないために思い出さなければならなかった父に殴られたという記憶はもはや必要ではなく、そのような過去ももはや存在しなくなった。

その代わり、父とのなつかしい回想だけが蘇ってきた。

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<教えてくれた人>
岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書はベストセラーの『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2018年3月号に掲載の情報です。

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