「あってもいいよ」は「なくてもいい」
――経済ジャーナリストとして長年ご活躍ですが、どんな経緯がおありだったのですか。
もともと経済事務所でビジネス記事を担当していたのですが、27歳のとき、経済ではなく社会問題を書きたいとルポライターに。
いただいた最初の企画が『満州・浅間開拓の記―長野県大日向分村開拓団の記録』(銀河書房)という本でした。
満州から引き揚げてきた方々に取材して、想像を絶する恐怖とつらい経験をされたお話をまとめましたが、半年ぐらいノイローゼになってしまったんですよ。
20代の女の子が背負える話ではなかったんですよね、本当につらかったです。
でも、ものは書いていきたい、そしてやはり経済の方がいいなと思い直し、そのままフリーランスで経済の記事を書き始めました。
当時、経済の署名記事を書く女性は珍しかったので、女性情報誌の編集長から依頼があって、若い女性に向けて連載することになりました。
最初は反響がいまひとつだったのですが、こうしたら節約になるとか、日々のお金の話を書いたら、すごい反響で。
ならば、皆さんのお役に立つことを書こうということでいまに至ります。
お金の話って、関わらない人がいないものでしょう。
お金を考えると、必然的に世の中を考えることになるし、世の中はずっと変わり続けている。
だから、その中で変わったところをすくい取って書いていくというのは、飽きないですし続けられます。
いろいろな視察に行きますが、農業視察に行ったら、長年食べている牛乳と鶏肉の産地だったりして、自分たちの日々の生活に直結しているなと改めて思うんです。
経済を語るとき、節約はよくテーマに上がりますが、私が育った家庭は節約が当たり前で、電気をまめに消すとか、違和感なくやっていたんですね。
いまは、節約が持続可能な社会への開発にもつながっています。
だから、苦にしないで習慣にしてしまうといいと思います。
ちょっとしたことでいいんです。
例えば、私は物が増えないように、買わないようにするために「あってもいいよ」は「なくてもいい」とし、買うときは、先にどれを捨てようか考えてから買うようにしています。
そんな暮らしのヒントになる経済をこれからも伝えていきたいと思っています。
――荻原さんは明るく、物も悩みも抱え込まない印象です。
たしかにため込まない女かも(笑)。
落ち込むときはとにかく寝るし、ハマっているネット配信のドラマを見まくって忘れます。
悩みって、煎じ詰めると、自分が悩んでも仕方のないことだったりする。
それに気付いて視点を変えるだけで、解放されたりすることがあります。
20代のノイローゼのときもそうでしたけど、解決するには時間が必要なことと、目先を変えることしかないのかなと思うんですよ。
違うことを始めてみるとかね。
会社や家庭のしがらみがあると、新しいことに動き出すのは難しいかもしれないけれど、悪いことばかりじゃないですし、人生、ダメだと思っても多分ダメじゃないんですよね。
進めば必ず前がある。
始める前は、こんなことできるのかと思っても、とりあえず始めてみれば、何とかできたりするじゃないですか。
とりあえず進んでみる。
そうすれば何とかなるんじゃないかなと思います。
取材・文/多賀谷浩子 撮影/吉原朱美