テレビドラマ「寺内貫太郎一家2」でデビューをして以来、数々の映画、テレビドラマで活躍してきた女優・風吹ジュンさん。永遠の命を得た女性の人生を描いた公開中の映画『Arc アーク』に出演された風吹さんに、ご自身の死生観や亡き方々との思い出についてお話を伺いました。
永遠の命を選べるとしたら?
──人類で初めて永遠の命を得た女性の人生を描いた公開中の映画『Arc アーク』。小林薫さんとの夫婦役が印象的です。
小林さんのこと、私は「人たらし」と呼んでいますが(笑)、これまでも共演しているので役者同士の信頼があって、ありがたかったですね。
時間を重ねた夫婦の何かが出ていたら、うれしいです。
この映画には若い姿のまま生き続けることを選択できるようになった近未来が描かれていますが、多くの人がそれを選択する中で、小林さん演じる利仁(りひと)さんと私の演じた芙美さんは選択しないんです。
もしも私自身が同じ選択を迫られたら、やはり芙美さんと同じですね。
モラルの問題でもあるし。
私の両親は2人とも亡くなって、父は昨年でしたが、亡くなってから見えてくるものがいっぱいあるんだなと改めて思ったんです。
それによって関係性も変わってくるし、人間、生きているときの関係だけではないんだなって。
過去の人になってもその存在には、とても意味がある。
だから、いつか私も過去の人になるというのは、とても自然なことのように思います。
──60歳を過ぎると、「まだこれから」という人も、「もう十分」という人もいます。
十分生きたなという考え方もあると思うのですが、私はまだまだ未熟で、完成していないし、見えていないし、まだできていない!と思いますね。
それは仕事の上でも。
──お若いときからやりたいことがあるんですか?
若いときからは思っていなかったですね(笑)。
役者をやるなんて思いもしなかったですから。
幸いなことに、こういう職場にたまたま落ち着いて。
それも出会いですけどね。
そうやって、どちらかというと導かれる形でこの仕事を始めたので。
あれから数十年たちましたけれど、正直なところ、役者としてはまだまだできていないなと思います。
「『やすらぎの刻~道』は元々は八千草薫さんにあてて書かれた役。精一杯でしたけど、ありがたい役でした。ドラマに出てきた若い頃の私の写真は、倉本聰さんの私物。すごいですよね、私も持っていないのに(笑)」
亡き人たちがいま教えてくれること
──役者をやっていこうと思われたきっかけは。
テレビドラマ「寺内貫太郎一家2」で(樹木)希林さんにお会いしたことですね。
当時は20代前半で、周りに心配をかけることもあったと思うんです。
でも、希林さんや(演出の)久世(光彦)さんは、私のことを本気で考えて、本気で守ってくださった。
希林さんが私のことでぽろっと涙を流されて、「よくがんばったわね」って言ってくださったことがあるんです。
早くから仕事を始めて、いろいろなことを自分で判断して、1人で必死に生きていましたから、ちゃんと自分のことを分かってくれる人がいるんだ、って。
そのことが信じられないぐらい、ありがたかったですね。
そのときに「ここなら、生きていけそうだ」って思ったんです。
──「阿修羅のごとく」も向田邦子さんのドラマですね。
「寺内~」も「阿修羅~」も向田さんの脚本、よかったですね。
当時、私は表参道に住んでいて、向田さんのお家が近かったので、よく1人で会いに行っていました。
おしゃれで、かわいくて、人の心の奥をちゃんと見てくださる方で。
「今日着ているのは、どこの服?」って服をトレードしたり、「アフリカ行ったときのこういう服があるのよ」ってくださったり、やさしい方でした。
リハーサル室の出入口でばったり鉢合わせしたのが初めての出会いなんです。
そのとき、にこっとされて「あなたは無国籍ね」とおっしゃったんですよ。
いま思えば、向田さんも無国籍のような方だから、私のことを理解してくださったんだと思います。
向田さんが亡くなられてから、足跡を辿るドキュメンタリー番組が作られて、長崎県の諫早や「向田」の発祥の地などを巡っていました。
向田さんが作家として売れてから初めて帰省したときのラジオのドキュメントがあるのですが、その音声を聴きながら、私も同じ場所を訪ねていったことがあります。
向田さんは童謡が大好きで、そのラジオで童謡を歌われるのですが、かわいい、きれいな声だったのを覚えています。
それは本当に忘れられない旅になりました。
──希林さんや久世さんや向田さん、すてきな大人の中で、やってこられたんですね。
皆、やさしくしてくださいましたね。
いただいたアドバイスも全部覚えています。
いまもそんなに変わりませんが、私は自分から、あまり話をしないタイプなんですよ。
娘が「お笑いの人と結婚してほしかった」っていうぐらい(笑)。
だから皆さん、この子は大丈夫かなって心配してくださったんだと思います。
──それは意外です。きっと芯がお強いのですね。
強くなっちゃいましたね。
肝の据わり方というか、わりとパニック・コントールのきく女だと思います(笑)。
若さってそういうものかもしれませんが、若い頃は何をやってもフィットしない感覚だとか、自分は人から理解されないんじゃないかとか、そういうところがありましたね。
でも、ある程度、無防備でいないと、人と出会っていけないじゃないですか。
だから、そこは好奇心が幸いしたかなって思います。
向田さんにも、女優の加藤治子さんにもお世話になりました。
自分のことを話したことはないですけれど、なんとなく肌で分かってくださって。
ありがたかったですね。
──昔の風吹さんと、いまの風吹さん。ご自身では、どう思われますか?
ずいぶん充実したと思います。
それは子どものおかげですね。
子どもを持ったこと、そして離縁したことで(笑)、社会と関わらざるを得なかったというのが、私にとってはよかったんだなと。
子育てって人の力を借りなければ、できないんですよね。
私1人なら電車に乗らなくても、やっぱり子どもは普通に育てたいじゃないですか。
だから、バスや電車にも乗るようにして。
希林さんもそれはおっしゃっていましたね。
いまも子どもたちがいることで、若い人たちのことも分かって、ありがたい環境ですね。
──いまが、いちばん充実していらっしゃいますか?
何もないので、ちょっと怖いぐらいとても幸せだと思います。
仕事に関しても、どんな役でも私は本当に大丈夫なんです。
欲を言えば、もっと女性に脚本を書いてほしいですね。
それこそ、向田さんが同じ時代に生きていてくださって本当によかった。
やっぱり女性が描いた女性像って、演じていても奥行きや見えてくるものが全然違うんです。
向田さんの脚本を「重箱の隅をつついたような」と評する男性が当時はいましたが、「じゃあやってみてよ、そこまで書ける?」って思うんです。
女性の目に映る世界をもっと表現してほしいし、そういう女性像を演じられたら。
これからは、女性が書いた脚本で演じるとか、そういうお仕事の待ち方をしたいなと思います。
──50代以降の女優さんの役柄は限られますね。
どんどん豊かになっていく年齢なのに。
誰かのお母さん役とかね。
そこは私も役者としてフラストレーションがあって、もっと表現できるのにって残念に思っている部分でもあるので、これから、そういう出会いがもっとあったらいいなって期待しています。
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取材・文/多賀谷浩子 撮影/吉原朱美