現役看護師であり僧侶の玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さん。法律事務所勤務から社会人のキャリアをスタートさせますが、重度のアレルギー症状があった長男のために、「専属看護師になる」と一念発起し、30歳のときに看護師に。看護師として働き始めた数年後、今度は夫のがんが発覚。自宅で看取ったことを機に、仏の道に進まれました。
「新宿に行こう!」という感覚で仏の道へ
――2人のお子さんの母親でもある玉置さんが出家を決意されるとなると、相当な葛藤があったのではないですか?
それが「あ、今日新宿に行こう!」ぐらいの感覚で、それほどの覚悟ではなかったんです。
子どもたちや両親に話してもだれも驚かなくて、"私のことを理解して応援してくれてるんだな"と感謝していたら、後から「何を言ったところで、やりたいことをやると思っていたから」と言われてしまいました(笑)。
仏の道を選んだのは、夫を看取ったことで、俗世でやるべき仕事が全部終わったと感じたからなんです。
夫は積極的な治療はしないと言って、在宅での看取りを希望しました。
大学病院の外科で看護師をしていたので、たくさんの方の看取りにも立ち会ってきましたが、延命治療をしない"自然死"は「こんな死もあるんだ」と感動すら覚えるほど、美しい死に様だったんですね。
そのときの経験から、家で死ぬ、病院で死ぬ、どちらがいい悪いではなく、どちらか選べたらいいと思うにいたり、そのことを伝えていきたいと思ったのです。
在宅での介護には心のサポートが必要
――近著『頑張りすぎない練習』には「『家族の介護』を頑張りすぎない」という章もありますが、看護師のキャリアをもってしても自宅での介護は大変なものでしたか?
それはもう大変でした(笑)。
看護師としては仕事モードでできていたことも、家族だとそうもいかないんです。
例えば仕事ではカッチンとくることがあっても仲間に愚痴を言ったりできますが、家だと発散する場所がありません。
煮詰まってイライラすることはしょっちゅうでしたし、とても人様には言えないような感情を覚えることもありましたよ。
――そのとき何が支えになっていましたか?
支えがないので当たり散らしていました。
夫に呼ばれるたびに「なに?」ってキーッとなってしまって、あまり呼ばれずに済むように枕元にティッシュやらお水やら並べておいたこともあります。
だけど私の顔が見たかっただけで、ティッシュがほしかったのではなかったかもしれない。
そういうことは彼が逝ってから気が付きました。
でも渦中はそんなことも考えられないぐらい追い詰められて、子どもに「それぐらい自分でやってよ」とギャンギャン言ってしまうこともありました。
そういう実体験から、家で死ぬという選択肢を伝えていくにしても、医療や行政のサービスとは別の"心のサポート"が絶対に必要だと実感しました。
現在は患者さんご本人やご家族、医療や介護に関わっている人たちの心のケア"スピリチュアルケア"にも力を注いでいます。
がんで死ぬのではない生きているから死ぬのだ
――きれいごとばかりではない介護の現実を体験してから仏教の道に進まれたわけですが、修行を通して「こういうことだったのか」という気付きは得られましたか?
いちばん腑に落ちたのは、人が生まれて死ぬという流れを、修行中のイメージとして見せてもらったことですね。
人間が生まれてきて生活をして、また死んでいくときに、偶然家族のようになったとしても、根本的に人は一人だし、いずれ別れていくものだという絶対的な諦めというのでしょうか。
だから何も期待しないということを感じられました。
それから、どれだけ自分の脳みそが言い訳を作り出すかという、"脳のクセ"ですね。
修行には行きたくて行ったわけです。
それなのにだんだんと「こんなことをやっていても意味がないのではないか」「子どもを置いてきてまでやることではないのではないか」と考え始めるんです。
それはもう、まことしやかに正しいことのように考える(笑)。
最初のうちはいつ「明日、山(高野山)を下ります」と言おうか、そればかり考えていました。
でも、なかなか言い出せないで悶々としているうちに、1カ月ぐらいたったころだと思いますが、だんだん分かってきたんです。
いかに私の脳みそが「やめる」ということを正当化するために、いろいろな言い訳を作り出していたかということを。
それからは環境に慣れたということもあると思いますが、修行に専念できました。
人間の脳って、言い訳だったり物語を作り出すのが本当に得意なんです。
ご家族が亡くなられた後、ああすればよかった、こうしてあげればよかったとみなさん思います。
100%必ず。
どんなに頑張っても、そのように脳みそが作ってきてしまうので。
究極をいえば、必ず人間は死にます。
がんで死んだ、事故で死んだ。いいえ、そうではありません。生きていた。だから死ぬんです。
それなのに、なぜがんになったんだろう。
私が肉ばかり食べさせていたからかもしれない。
もっと早く気付いてあげられれば。
そのせいでがんで死んでしまった。
そういう物語を勝手に作って苦しんでいる人が多い。
でも何度も申しますが、事実は生きていたから死んだに過ぎないんです。
1億回ああすればよかった、こうすればよかったと言えば変わるというのなら付き合いますが、何十億回言ったところで変わらないのであれば、自分が「ラク」な物語を作った方が絶対にいいと思いませんか?
スラリとした長身がすてきな玉置さん。「修行が終わってから、ああしたいこうしたいという欲がまったくないんです。 そうしていると本のお話や講演会のお誘いが来たりする。それらは何かが私にさせようと目の前に落としてくれているものだから、片っ端から全部やります。だから疲れないんです。私は動かされているだけなので(笑)」。
頑張ることは必要だが頑張り過ぎはだめ
――確かに真面目な人ほど、自分を責めるような物語を作って悩んでしまっているところがありますね。ところで子どもの頃から頑張ることはいいことだと教えられて育ってきたのですが、いつからか「頑張れ」という言葉を軽はずみに発してはいけない空気になってきた気がします。
確かにそうですね。
ところが死が間近に迫っている人と向き合っていると、「『頑張って』と言ってほしいんだな」と感じるときもあるんですよね。
そういうときには「頑張って」と言ってしまいます。
結局は発するこちら側の問題なのではないでしょうか。
表面的な言葉なら言わない方がいいけれど、本心から出てくる言葉だったら伝わるかもしれない。
鬱で苦しんでいる人に「頑張って」は厳禁だけど、なにごともマニュアル的に考えなくていいと思うんです。
じつは本のタイトルは最初『頑張らない練習』だったんです。
「でも、頑張るときってあるよね」という話になった。
一生のうちで"いまが踏ん張りどころ"という時機はどなたにもあるし、そこを経て初めてたどりつける境地というものもあるのではないか。
それで"頑張る"は悪いことではないけど、"頑張り過ぎ"はよくないよねと『頑張りすぎない練習』になったんです。
取材・文/鷲頭紀子 撮影/兵頭理奈