定期誌『毎日が発見』の新年恒例の「90代現役」。今回も、一つのことをずっと続けられてきた方にお話を伺いました。自然体で生きてきた方の言葉をお手本に、新しい年も有意義に過ごしたいですね。第2回は「朗読はライフワーク。声が出る限り続けます」とおっしゃる、91歳の女優・奈良岡朋子さんのインタビューをお届けします。
もののはずみで女優に。72年続けてこられたのは、運。
「この前の12月1日で91歳になりました。否応なく年は取るけれど、72年間、休むことなく役者を続けてこられたのは、運が良かったからだと思いますね」
心に響くあの声でゆったりと話す奈良岡朋子さんの女優人生は、1948年に民衆芸術劇場(のちの劇団民藝)付属俳優養成所1期生となったことに始まります。
「でも、女優になったのは、もののはずみと運。子どもの頃は、医者になろうと思っていたんです」と、笑う奈良岡さん。
「とはいえ戦争中でしたからね。死体の中を歩いて学校へ行き、軍隊の無線機を一生懸命作る毎日。勉強どころじゃなかった。
父が画家で、私も子どもの頃から絵だけは描いていたので、女子美術大学に進学して演劇部に入りましたけれど、それも役者ではなく舞台装置を作ることに興味があったからなんです」
しかし、人生とは分からないもの。女子美在学中に初めて翻訳劇の舞台を観に行った奈良岡さんは、そこで劇団民藝の俳優養成所の生徒募集広告を見て、女優の道を歩むことに......。
「試験を受けに行けば、芝居に出ていた役者の顔が見られると思ったのね(笑)。役者になる気がないから、緊張せずに受け答えをしていたんでしょう。四次試験まであったのに、受かっちゃった。500人くらい受けて、合格したのは50人ほど。でも、すぐに舞台や映画に出られるわけではないから次々に辞めていき、1期生で残ったのは7人ぐらい。『学校を卒業するなら芝居をやってもいい』というのが父との約束でしたから、学校と俳優養成所の稽古場を毎日忙しく往復していました。いま考えると、よく続いたなと思いますね。そうこうしているうちに、役がついてきたんです」
50年の劇団民藝創設に参加し、その後は舞台、映画、テレビ、ラジオと、様々なジャンルで活躍をしてきた奈良岡さん。
「自分なりに一生懸命やってきたことで作品に恵まれ、私にとっては〝太陽と月〟のような二人、石原裕次郎さん、高倉健さんと共演ができ、多くの素晴らしい先輩たちと出会えたと思うんです。それも運ですよね。継続は力なりと言うけれど、〝これだけは続けたい〟というものがあると、頑張れる。
いまの私にとっては、原爆の悲惨さを描いた井伏鱒二の名作、『黒い雨』を朗読するひとり舞台が、ささやかなライフワーク。8年続けてきましたが、声が出て、喋れるうちは年に1回でいいから続けていきたいと思っています」
コロナ禍の2020年、劇団民藝の舞台は2本中止になったそうですが、『黒い雨』の朗読は、多くのファンに請われて、全国5カ所で公園が行われたといいます。
「日本は世界で唯一原爆を落とされた国。そのことだけは伝えていきたい。何かひとつでもいい、続けていきたいことがあれば、健康でいるために自然と自分の体をケアするようになりますしね。私は運転免許を取る前に車を買ってしまうほどの車好きでしたけれど、80歳で免許は返納。長い間吸っていたタバコも、ある日、バタッとやめました。いまは、ステッパーを使って上がったり降りたりを毎日200回やって、できるだけ歩くようにしています」
そして21年も、劇団民藝の舞台に立ち、ナレーションやラジオの仕事ができれば、と奈良岡さん。
「もう、駆け回る体力はありませんから、自分にできる役を無理せず、力を抜いてやっていきたいですね」そう語る自然体の優しい笑顔が、とてもすてきでした。
取材・文/丸山佳子 撮影/齋藤ジン