月刊誌『毎日が発見』で掲載中の連載「短歌のじかん」の選者である米川千嘉子さんに、次の世代に残したい平和を願う歌を選んでいただきました。数多くの文芸作品や映画などで戦争の悲惨さは描かれていますが、意図的に伝えていかなければ風化してしまいます。戦後78年にあたるこの夏、平和への願いを集めた短歌をご紹介します。
この記事は『毎日が発見』2023年8月号に掲載の情報です。
米川千嘉子が選ぶ反戦の歌
あゝ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
廿四(にじふし)までをそだてしや。(以下略)
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は日露戦争で旅順にいる弟を思った勇気ある詩です。
国家に駆り出される厖大(ぼうだい)な命一つ一つの重さ、そして一人の周りに多くの家族がいることも訴えます。
いつの時代も戦争や紛争、災害の死者は数として記録されるだけです。
短歌はいかにも短いものですが、そこに、ただ一人の生身の人間の声が籠(こ)もる時、数の陰に見落とされてしまうかけがえのない人の生活や心があることを伝えてくれるように思います。
おほいなる天幕のなか原爆忌
前夜の椅子らしづまりかへる
竹山 広
1945(昭和20)年8月9日、日本で2つ目の原子爆弾が長崎に落とされます。
爆心地近くにいた作者は九死に一生を得ますが、兄は亡くなりました。
阿鼻叫喚を見尽くした作者に原爆忌は巡り、この歌はそれから約半世紀後の一首です。
原爆忌の前日、平和公園の平和記念式典会場には天幕が張られ、整然と椅子が並べられてただ静かです。
しかし、その静寂は3度目の原爆投下の前夜のものではない、一瞬前のものではないと、誰が言いきれるでしょう。
おそろしく予言的な一首がリアルに響いてくる昨今です。
軍国の少女のわれが旋盤を
まはしつつうたひゐし越後獅子あはれ
馬場あき子
太平洋戦争のまっただ中、17歳の作者は東京三鷹の中島飛行機に動員されていました。
飛行機の発動機の台座を作るために日々旋盤を回したのです。
つらい作業を慰めたのは長唄の「越後獅子」。
健気に耐えた少女の心をはるかに悲しみ、労(いたわ)る思いが滲みます。
四人の子遺され戦争未亡人。
こぼれ繭なり母のひと世は
田村広志
1944(昭和19)年、作者の父は4人の子を残して出征。翌年6月に沖縄で戦死しました。
その後必死で働き、子供たちを育てた母の一生を作者は、使い物にならず捨てられる繭、「こぼれ繭」だと詠みました。
母の苦労と無念をつくづくと辿る悲しい一語です。
徐々徐々にこころになりしおもひ一つ
自然在(しぜんざい)なる平和はあらず
宮 柊二
作者は1939(昭和14)年召集、1943年まで中国・山西省を中心に転戦しました。
その苛酷さを忘れさせるような戦後の日々、はっきり形をなしてきた思いがあります。
あらかじめ存在する平和などはない。
平和は人がつねに努力して作り上げるのだと。
イラスト/えんどうゆりこ