総理大臣、選挙、憲法改正など話題の尽きない日本の政治。とはいえ、話が大きすぎてよく分からないという人も少なくないでしょう。そこで、カリスマ塾講師・馬屋原吉博さんの著書『今さら聞けない 政治のキホンが2時間で全部頭に入る』(すばる舎)から、「わかりやすい政治用語の基本」の一部を抜粋してお届け。基本を知ると、今の世の中がよくわかります。
憲法9条と自衛隊の関係
「平和主義」
日本国憲法の三大原則のひとつ、「平和主義」に関する議論もなかなか複雑です。
まず、あらためて第9条の文言を見てみましょう。
《日本国憲法 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。》
「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」という考え方は素晴らしいものです。
とはいえ、日本が軍隊を捨てれば、周りの国が日本に攻めてくることはない、という理屈が成り立つかどうかは、人によって意見の分かれるところでしょう。
明らかに攻撃に特化した武器の保有はNG
憲法13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については......最大の尊重を必要とする」と規定しています。
日本が他国の軍に攻撃される可能性は、常にゼロではありません。
そんな中、国民の「生命、自由及び幸福追求」に対する権利が認められているということは、当然、他国の攻撃から身を守る自衛権、そしてその裏づけとなる自衛力の保持も認められる、というのが日本国政府の見解です。
だからこそ、日本が持つことができる自衛力は「自衛のための最小限度の実力」に限られるとされています。
大陸を超えて飛ぶミサイルや、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母といった、明らかに攻撃に特化した武器の保有は認められません。
「交戦権」は戦争をする権利ではない!?
「交戦権」とは
日本国憲法第9条には、「国の交戦権は、これを認めない。」という文言もありました。
これを読んで、「『交戦権を認めない』ってことは、結局、自衛のための戦いもできないということにならないの?」と不思議に思われる方がいらっしゃいます。
この「交戦権」を、「国家として戦争を行う権利」ととらえると、たしかに上記のように解釈することもできます。
政府の見解は?
ただ、「交戦権」には、「国際法上、交戦状態に入った国に認められる権利」という意味もあります。
具体的には、「相手国の兵力を破壊・殺害する権利」や、「相手国を占領したり、港などを封鎖したりする権利」などが挙げられます。
日本国政府も「交戦権」については、後者の意味で解釈しており、「わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものです。」と述べています。
政府の見解については、防衛省・自衛隊のHPに詳しくまとめられていますので、興味のある方は直接ご覧になってみてください。
近年、一部容認された「集団的自衛権」
個別的自衛権と集団的自衛
戦後しばらくの間は、日本が自衛権を持つことの是非自体が議論されていましたが、1959年、最高裁は日本も「必要な自衛の措置を取り得る」という判決を下しました。(砂川判決)。
自衛権は、大きく2種類に分けられます。
自国が攻撃されたときに防衛する権利を「個別的自衛権」、自国と密接な関係のある他国が攻撃されたときに、共に防衛する権利を「集団的自衛権」と呼びます。
友達と2人で歩いていたら、誰かが友達に殴りかかってきた。
放っておいたら次は自分がやられる可能性が高いとき、友達と一緒に抵抗する権利、それが「集団的自衛権」のイメージです。
アメリカが攻撃されたら日本の存立の危機!?
国連憲章は、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」を、参加国が持つ権利として認めています。
しかし、日本国憲法には自衛権に関する明確な規定がありません。
日本国政府は長い間、「憲法9条のもとでは、個別的自衛権は認められるが、集団的自衛権は認められない」という立場をとっていましたが、2015年、集団的自衛権を一部認める法改正が行われました。
ここ数十年の国際情勢の変化やテクノロジーの進化により、アメリカと日本のイージス艦が、データを共有しながら敵国のミサイルを打ち落とすような状況が想定されるようになってきた。
そんな中、アメリカのイージス艦が攻撃を受けたとすれば、それは日本の存立が脅かされる危機であり、放っておくわけにはいかない。
時代の変化とともに「必要な自衛の措置」も変化するというのが、一連の法改正に向けて動いた当時の安倍内閣の説明でした。
全8章にわたってカリスマ塾講師が政治に関するさまざまな用語をわかりやすい図解で解説しています